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黒潮の民〈3〉夏至の風景

南城市百名の海岸にある薮薩の御嶽。
地元では、これを「ヤファサチの御嶽」と呼んだ。
ヤファとは、船が明澪に入り心穏やかになること。

アマミキヨ渡来の御嶽・ヤハラヅカサの「ヤハラ」も、
「柔らかい」とか「和らぐ」という意味がある。
アマミキヨは、百名に着岸して心が穏やかになった

夏至の翌日(6月22日)7時過ぎのヤハラヅカサ。
ちょうど夏至前後の数日、沖縄へ行っていた。
満潮で、石碑は水没寸前(写真右)となっている
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いっぽう、ヤファサチのサチとは先端のこと。

例えば、薮薩の御嶽近くの人気カフェは、やぶさち
車で5分ほど南にある人気カフェ「浜辺の茶屋」が
ある場所はさちばる、「先の原」という意味がある。
どちらも先端なので海を見渡す絶好のロケーションだ。

そうすると、「薮薩の御嶽」という名にある薮も薩も、
地元に伝わってきた言葉ではないということになる。
その名が登場するのは『琉球国由来記』(1713年)。
薩摩の琉球侵攻後についた、ヤマト的な御嶽名だろう。


薮薩の御嶽の中のさち(先端)に当たる場所は、
現在、公園のように整備されているが、木々の
向こうは断崖で、以前は水平線と久高島が遠望できた
黒潮の民〈3〉夏至の風景_a0300530_11072541.jpg








↓15年前はこうだった。木々の背丈はまだ低く、
フェンス際から海が見通せた。語り部の少年時代は、
木を伐採しながら進んだという(ブログはこちら
黒潮の民〈3〉夏至の風景_a0300530_11501010.jpg






久しぶりに薮薩のさちを訪れたのは、語り部が、
ここにあったという御嶽を思い出したからだった。

「戦前、〝白鳥(しらどぅい)の御嶽〟があったと
 聞いたんです。それは海中のヤハラヅカサと一対で
 船玉神(船の守り神)が祀られていたそうです」

そして、古典歌謡の「白鳥節」を口ずさんでくれた。
〜御船の高艫に白鳥がゐちやうん
白鳥やあらぬ 思姉(うみない)おすじ〜
(舟の船尾に白い鳥が止まっている。いや、あれは白い
鳥ではなく、妹(姉)のおなり神である)

九州の西海岸沿いに点在するというヤボサ神社。
その御神体は船玉神だと柳田國男氏は書いたが
 沖縄本島南部・百名の地にもその御嶽があったとは。
   
 ヤファサチは、旧アマミキヨの渡来にちなんだ呼称。
  薮薩は、新アマミキヨの渡来にちなんだ呼称。

ヤファサチと藪薩、呼び方は違うが、どちらも船玉神
を祀っていた、先史時代から…。と、いまは考える
 「薮薩の御嶽は、ウ(御)サチ・ミントンでもある」そう伝承される海には南から北から渡来の船が着いた。


 藪薩の御嶽の内部。真ん中↓で光るのが夏至の太陽
黒潮の民〈3〉夏至の風景_a0300530_11470029.jpg


by utoutou | 2023-06-26 14:29 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(1)
Commented at 2023-06-26 09:02
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