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黒潮の民〈5〉玉城レイライン

グスク時代(11世紀〜)になると玉城丘陵には
 ヤマトからレイラインを引く人々が渡来した。

斎場御嶽のある知念半島の東端から南岸沿いに
糸数城址まで続く丘陵地帯に、城の中心軸を東西
や、夏至ラインとする設計のグスクが建てられた。
 
丘陵の最高地にあるこの玉城グスク(標高180m)
の門と夏至の朝日の関係が、特別なのではなかった。
※かつて書いたブログは「琉球のグスクは東西軸

ところで、先日の日の出を眺めながら気がついた。

玉城城のハート型にくり抜かれた門の先、遠くに
知念半島が横たわる。手前の稜線はタカラグスク。
琉球ゴルフ倶楽部の中でも高地に位置、英祖王統
4代・玉城王と5代・西威王の墓があるが、それも
  夏至の朝日のレイライン上に造られたのかもしれない
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6時30分、タカラグスクの上空に昇る夏至の朝日
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グスク時代、玉城の断崖上に佐敷グスク、知念グスク、
垣花グスクを、さらに勝連城、首里城などを造った
人々について、谷川健一氏は「今来のアマミキヨ」
と指摘しつつ、次のように著している。

(要約)
☆石積の城壁を造ることのできる鉄斧を持った集団

  ☆知念森グスク、玉城グスク(テンチヂアマチヂ)、
今鬼神のカナヒャブという「琉球開闢の御嶽」は
拝所を中心とした城だが、城壁を造る鉄器は必要

☆やはり「琉球開闢の御嶽」の薮薩の浦原を
 造ったのは対馬〜壱岐〜九州西海岸〜伊是名島と
「島の道」にヤボサ・ヤブサと呼ぶ神を祀った海人

☆ミントングスクからは、長崎県西彼杵半島の
 大瀬戸町から採れる滑石で作った石鍋が出土した。
 その大瀬戸町は家船(えぶね)の集積地だった。
家船海人の先祖は、大陸から南九州に来た隼人族


玉城の地形を度々見てきたので、こう考える。
隼人族とは、語り部が言うセーナナーのことだ。
北上して安曇・宗像・宇智、日下部・和邇など大和
朝廷の豪族を輩出した。そのうち日下部氏は日奉部
や日置部といった太陽祭祀を司る部民になったが、
測量技術に長けた彼らの末裔が、新アマミキヨとして
再来すれば、レイラインを引くことは難しくない。


玉城グスクの門を通して夏至の朝日が差し込む
「テンチヂアマチヂ」。確かに陽光は届いていた
黒潮の民〈5〉玉城レイライン_a0300530_13460509.jpg













by utoutou | 2023-06-30 17:31 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(0)
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