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黒潮の民〈6〉玉城ハイブリット城

(前回ブログの最後に)日下部氏は日奉部や日置部と
いった太陽祭祀を司る部民になったが、測量に長けた
彼らの末裔が、時を経て、新しいアマミキヨとして
再来すれば、久高島からこの ↓玉城城にレイライン
(太陽の道)を描くことは、さして難しくないだろう。
 と書いたが、少し補足して記しておきたいことがある。
黒潮の民〈6〉玉城ハイブリット城_a0300530_15480701.jpg


 






〈その1〉彼らは城壁を削る鉄器を持って渡来したと
いうが、「アマミキヨの弟はカニマン(鍛冶屋)」と
 いう伝承があり渡来後に道具を整えた可能性は大きい。


 〈その2〉新アマミキヨは、稲作技術を携え南下した。
  それがグスク時代の始まりで、持参した3点セットとは
  カムィヤキ・中国製白磁・滑石製石鍋とされるが、
 その本拠・喜界島の遺跡から製鉄の炉跡が出ている。
  集団は、製鉄鍛治技術を加えた4点セットを携えていた。

〈その3〉琉球国初代王とされる舜天(ソントン)は
 「若ティダ(朝陽)」と呼ばれ、その御嶽は玉城にある。
  源為朝と共に渡来した集団が、太陽信仰をもたらしたか。
   語り部はその集団を南九州から先祖帰りした人々と視る。


 つまり、先祖(旧アマミキヨ)もまた太陽信仰によって
  東へと移動して、この大陸の先の絶海の島に渡来したが、
  これは朝日夕日の東西を崇めるニライカナイ信仰に依る。

 と、ここまで書いて、あの問題はどうするのかと悩む。
他でもない玉城城・天頂の御嶽(テンチヂアマチヂ)
のこと。琉球国王が雨乞いの神事をした至高の御嶽。

 これはニライカナイとは違うオボツカグラ信仰に依る。
 ニライカナイは東西信仰だが、オボツカグラは天神信仰
  で、それは大陸から渡来した集団がもたらしたのだろう。

 玉城城には、ニライカナイとオボツカグラという
 ふたつの信仰の姿が、ハイブリッドに存在している。
 まるで、琉球王国の成り立ちの秘史を示すように思う。


この夏至の翌日、玉城城の朝日を見てから薮薩の御嶽
に参り、浜辺の茶屋でモーニングコーヒーを飲んだ後、
 奥武島ハーリーへ。職域チームの対抗戦の最中だった
黒潮の民〈6〉玉城ハイブリット城_a0300530_16191935.png










ハーリーは数百人の観客と港の出店で賑わい、コロナ前
よりエキサイティングな印象。目の前で激戦は続いた…
が、直後こちらのチームは、バランスを失い転覆した。
大きな声援が響くなか、ゆったりと救護船が近づいた
黒潮の民〈6〉玉城ハイブリット城_a0300530_16220068.jpg







奥武島ハーリーは、400年前に朝鮮半島を発って
ここ奥武島の志堅原に漂着して住み着いたという
 「新羅」の人々との交流を記念して始まったと伝わる。

玉城城のテンチヂアマチヂといい「新羅」といい、
大陸や朝鮮半島との歴史を色濃く残すのが、ここ玉城。














by utoutou | 2023-07-05 05:00 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(0)
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