津堅島の祭り・マータンコーについての情報に 接したのは、あの奥武島ハーリーの日のことだ。 奥武島橋のたもとで、偶然、友人に呼び止められた。 なんでも、マータンコーの祭りを代々司祭していた 旧家の末裔の方が健在らしい…ということである。 思えば、津堅島に渡り、マータンコーの祭り を見たのは8年前の冬。クリスマスの頃だった。 さて、先日、奥武島で会った友人の話をまとめると、 津堅島で祭りを司祭したという旧家ならではの、 マータンコーの由来を巡るポイントがいくつかある。 ☆いまも旧暦11月14日に行われるマータンコーと、 (いまは途絶えたが、12年に一度の)旧暦11月15日 から行われた久高島のイザイホーは一連の祭りだった。 ☆ふたつの祭のうち、王府時代に神の島とされた久高島 のイザイホーだけが、名だたる秘祭として存続した。 ☆その旧家では、マータンコーは「草薙の剣の祭り」 だと、明治の時代まで一子相伝していたという。 以上3点は、語り部から聞いた話とも一致している。 いっぽう、3つ目のポイント「草薙の剣」にまつわる 話は、島レベルでは伝承されなかった秘話なのだろう。 その口伝が事実なら、「三種の神器」の定義を 揺るがしかねない沖縄の、いや日本の古史の一大事。 もちろん現在のキャロット・アイランドこと津堅島 もまた、久高島と同様に、神の島だったことになる。 沖縄本島東海岸の御嶽・テダ御川近くから遠望する、 平らな久高島(右=南)と起伏ある津堅島(左=北)。 約12㎞離れて太平洋上に浮かぶ二つの島が、古来 冬至の季節に行われた祭りを共有していたとは… ![]() 久高島で見た案内図。右下の図で津堅島と久高島の 位置が分かる。過去ログ「久高島の渦巻き」に書いた が、久高島最北のカベール の岬の北方で海底神殿跡 のような何かを見たというダイバーや海人は少なくない。 語り部はそれを龍宮と呼ぶが、いつの時代のことなのか ![]() ![]()
by utoutou
| 2023-07-26 15:24
| グスク・御嶽
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Comments(2)
> 匿名さん
ありがとうございます。 教えていただいたサイトに飛びました。 ↓ (男)津堅とぅ久高とぅ船橋掛きてぃ津堅ぬ美童わたしぶしゃん つぃきんとぅくだかとぅふなばしかきてぃ つぃきんぬみやらびわたしぶしゃん thikiN tu kudaka tu hunabashi kakiti thikiN nu miyarabi watashi busaN 〇津堅(島)と久高(島と)に船橋掛けて津堅(島)の美しい娘を渡してみたいものだ 語句・ふなばしhunabashi 船をつないで橋としたもの。 想像が膨らみますね。 曲も聴いてみたいと思います🙇♂️感謝です🙏
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> 匿名さん
こんにちは。「くだたるやーちきん、ちきたるやーくだか」とか「うちゃがて見ゆる(浮き上がって見えるor見上げるように窺う )、ちきんくだか」など、語り部さんからは、津堅島と久高島の一体性を示すような昔ながらの表現を聞いていたのですが、最近、本当にあるときパッと島の間に繋がる陸地が見えた気がしました。ここまで10年かかりましたが…🤣
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![]() by utoutou
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