テダ御川に近い海岸からの久高島(右)と津堅島(左)を見比べる写真は5年前にも撮っていた。↓こちらだ
津堅島のマータンコーと、久高島のイザイホーが、 一連の祭りと聞いても、当時はまだピンと来なかった。「双子の島」と呼ばれたという伝承があったことにも。 しかし先月、改めて右…左…と島を見比べていたとき、水平線にふっくらとした陸地のイメージを描いていた。 約1万年前、地球規模のウルム(最終)氷期が終わると温暖化で、海水面が100m以上ほど上昇したという。 逆に言えば、それまでの海水面は100m下にあった。 古代天孫氏王朝は17802年続いたという。 語り部の話では、眼前に広がるこの海に王城はあった。 私の解釈では、それはウルム氷期の終焉で沈没した。
などと思ういっぽうで…それほど深く時代を掘らなくてもという考えも湧く。ふたつの島は、7海里(約12㎞)しか離れていない。サバニを巧みに繰る海人なら、数時間で渡れる距離。 島と島をダイレクトに結ぶ航路は、いまはないが、船運が手段の古代だったなら、海を介して交流したり、狼煙で連絡を取り合ったり、年中行事を共催したり、婚姻などの縁組みも行われていたのではないだろうか? こちら津堅島フェリーの出る平敷屋港(うるま市)。久高島フェリーの安座真港から陸路を車で1時間半
ところで、津堅島・マータンコーは旧暦の11月14日に催行されると決まっている。島の女たちを生贄にした7つの首の大蛇を退治したという伝説を再現する祭り。 私が見た年の祭りの最後は、漁労祭祀を司る2名の男性神役ソールイガナシーに報告、祝宴へと続いた。これは「男の祭り」「海人の祭り」だ。そして翌15日の冬至正月を前にして1年を締め括る、神行事である
いっぽう、「女の祭り」である久高島のイザイホーは、まさにその冬至正月の15日からと決まっていた。 月の中日(ティキガナカ)、満月の出る夕刻に始まる。 月神の霊力が最高潮となるその夜から、数日間に渡り、 女たちは七つ屋に籠って霊力を受け、神女となった。 この祭りで誕生した神女たちは、自らの兄を守護する「おなり神」として家を支え、祭祀組織に加わった。 「男は海人(うみんちゅ)、女は神女(かみんちゅ)」 久高島に残るその風習は、津堅島にもあっただろう。「草薙の剣」の伝承が、そのことを如実に物語っている。
by utoutou
| 2023-07-30 01:24
| グスク・御嶽
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琉球の始祖と伝わるアマミキヨとは誰か。その痕跡を追う旅ログ。南城市玉城で出会った語り部と共に謎解きする、古代琉球の神々の事々。写真・文章を転載の場合はご一報お願いしますm(._.)m
by utoutou
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