娘たちを生贄にする大蛇を退治、そのことを祝う 津堅島の祭り・マータンコーは、記紀神話に見る 八岐大蛇の神話に似ていると言われるが、肝心の スサノオは登場しない。また一説では、島に住む 御蔵之里主が発案して退治した筋立てになっている。 いつ頃から始まった伝統行事なのかは分からない。 ただ、里主とは琉球王府における氏族の位階のひとつ。 祭りの背景は神話の時代までは遡らないのではないか。 私が見学したマータンコーも、男たちの化粧や所作 から、時代につれ変化してきたように感じられた… ![]() それでも、祭りが綴る物語には、八岐大蛇神話の 原風景はこの沖縄本島の東に浮かぶ島々にあった のだと想像させる、いくつかの要素が詰まっている。 まず、八岐大蛇を「7つの首の蛇」と呼ぶ意味だ。 本来の八岐大蛇は文字通り8つの頭と尻尾を指すが、 津堅島を含む島々では、7つの首がある大蛇(怪物) という設定になっている…と、語り部に聞いた。 「津堅島を含む島々」と、あえてまとめて呼ぶのは、 そもそも「7つ首(ななちくび)蛇」とは、沖縄本島 の東に並ぶ7つの島々を指していたからなのだった。 南から久高島・津堅島・藪地島・浜比嘉島・平安座島 ・宮城島・伊計島の7島のことで、この島々は古来、 「御先東世(うさち・あがり・ゆー)」と呼ばれた。 7島を繋げると、北斗七星(ウチナーグチでニブトゥイ) の形に似ている。矢印を付けた島が津堅島。 津堅島と久高島では、ニブトゥイという男性神人が 海に関する祭りを仕切り、神酒を注ぐ役を担っていた ![]() この7つの島にセーナナー(古代海人7氏族)が住んだ という伝承は、ヤマトへと北進した古代海人族の痕跡 を示している。ちなみに、「世」は時代という意味で、 古い順に、裸世、すりすら世、御先東世…と呼ばれる。 「すりすら世」とは、人々が草を身に纏った時代のこと。 そうした御先東世の時代には、津堅島と久高島は 繋がっていたのだろうと考えるのに、無理はない。 前回、それはウルム氷期の終焉で海底に沈んだ…と 書いたが、それまで黒潮は7つの島の東を流れていた。 ウルム氷期の終焉により、海水面が上昇すると、 太平洋から東シナ海へと黒潮はその流れを変えた。 黒潮の本流は、トカラ列島付近で東へ。いっぽう、 支流となる対馬海流は朝鮮半島・九州の西海岸そして 南西諸島を繋ぐ新しい海路となり、人的交流や貝や土器 などの交易を可能にした。その主な担い手となったは、 御先東世にいた古代海人族だったろうと、考えている。 話は変わるが、「7つの首の蛇」の伝承は島によって 様々な形がある。例えば、久高島では東海岸にある 7つの川泉(過去ログ★)として、伊計島ではセーナナー の御嶽(過去ログ★)として語られ、津堅島では、 マータンコーの祭りとなって存続してきたのだろう。 前置きが長くなってしまったが(笑)、マータンコー では、7つの首の大蛇が島の娘たちを生贄にする。 娘たちは神女(日巫女)であり、兄の守護神だった。 この祭りは、古代海人族が島の娘を娶った結果、 「おなり神」が不在となるところから始まっている。 久高島のイザイホーが、12年ごとに行われる 王権儀礼となったのは、琉球王朝時代からに過ぎない。 ニブトゥイの島々では、神女(かみんちゅ)を誕生させる 祭りがイザイホーの純化した姿のまま続いてきたと思う。
by utoutou
| 2023-08-05 02:22
| グスク・御嶽
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