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黒潮の民〈11〉古代海人族

娘たちを生贄にする大蛇を退治、そのことを祝う
津堅島の祭り・マータンコーは、記紀神話に見る
八岐大蛇の神話に似ていると言われるが、肝心の
スサノオは登場しない。また一説では、島に住む
 御蔵之里主が発案して退治した筋立てになっている。

 いつ頃から始まった伝統行事なのかは分からない。
  ただ、里主とは琉球王府における氏族の位階のひとつ。
  祭りの背景は神話の時代までは遡らないのではないか。

 私が見学したマータンコーも、男たちの化粧や所作
 から、時代につれ変化してきたように感じられた…
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それでも、祭りが綴る物語には、八岐大蛇神話の
原風景はこの沖縄本島の東に浮かぶ島々にあった
 のだと想像させる、いくつかの要素が詰まっている。

まず、八岐大蛇を「7つの首の蛇」と呼ぶ意味だ。
本来の八岐大蛇は文字通り8つの頭と尻尾を指すが、
津堅島を含む島々では、7つの首がある大蛇(怪物)
という設定になっている…と、語り部に聞いた。

「津堅島を含む島々」と、あえてまとめて呼ぶのは、
そもそも「7つ首(ななちくび)蛇」とは、沖縄本島
 の東に並ぶ7つの島々を指していたからなのだった。

南から久高島・津堅島・藪地島・浜比嘉島・平安座島
・宮城島・伊計島の7島のことで、この島々は古来、
「御先東世(うさち・あがり・ゆー)」と呼ばれた。


7島を繋げると、北斗七星(ウチナーグチでニブトゥイ)
の形に似ている。矢印を付けた島が津堅島。
津堅島と久高島では、ニブトゥイという男性神人が
海に関する祭りを仕切り、神酒を注ぐ役を担っていた
黒潮の民〈11〉古代海人族_a0300530_15595354.png










この7つの島にセーナナー(古代海人7氏族)が住んだ
という伝承は、ヤマトへと北進した古代海人族の痕跡
 を示している。ちなみに、「世」は時代という意味で、
 古い順に、裸世、すりすら世、御先東世…と呼ばれる。
「すりすら世」とは、人々が草を身に纏った時代のこと。

そうした御先東世の時代には、津堅島と久高島は
 繋がっていたのだろうと考えるのに、無理はない。
前回、それはウルム氷期の終焉で海底に沈んだ…と
書いたが、それまで黒潮は7つの島の東を流れていた。

ウルム氷期の終焉により、海水面が上昇すると、
太平洋から東シナ海へと黒潮はその流れを変えた。

黒潮の本流は、トカラ列島付近で東へ。いっぽう、
支流となる対馬海流は朝鮮半島・九州の西海岸そして
南西諸島を繋ぐ新しい海路となり、人的交流や貝や土器
などの交易を可能にした。その主な担い手となったは、
 御先東世にいた古代海人族だったろうと、考えている。

話は変わるが、「7つの首の蛇」の伝承は島によって
様々な形がある。例えば、久高島では東海岸にある
7つの川泉(過去ログ)として、伊計島ではセーナナー
の御嶽(過去ログ)として語られ、津堅島では、
 マータンコーの祭りとなって存続してきたのだろう。


勝連半島の屋慶名展望台(うるま市与那城)からの景色。
藪地島(写真右)の向こうに見える橋が海中道路
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前置きが長くなってしまったが(笑)、マータンコー
では、7つの首の大蛇が島の娘たちを生贄にする。
娘たちは神女(日巫女)であり、兄の守護神だった。
この祭りは、古代海人族が島の娘を娶った結果、
「おなり神」が不在となるところから始まっている。

久高島のイザイホーが、12年ごとに行われる
王権儀礼となったのは、琉球王朝時代からに過ぎない。
ニブトゥイの島々では、神女(かみんちゅ)を誕生させる
  祭りがイザイホーの純化した姿のまま続いてきたと思う。







by utoutou | 2023-08-05 02:22 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(0)
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