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黒潮の民〈12〉海神の生贄(いけにえ)

津堅島の祭り・マータンコーは、7つの首の大蛇が
娘たちを生贄にしたことから、島の人々に退治される
筋書きだが、その本質は、乙女を海神に捧げたという
海人族(海神族)の風習にあるのではないだろうか。
『魏志倭人伝』にも人身御供(持哀)の話があったし…
 などと、繰り返しあれこれと思いをめぐらせている。

ただし、祭りは旧暦11月14日に行われる。冬至正月
の前日、つまり大晦日の祭りとも言えるところが、
出雲神話の八岐大蛇とは似て非なるポイントだろう。

それゆえ、
 翌日の11月15日(王府時代以降は12年毎)に行った
 久高島のイザイホーと関連する祭りとして語られた。
 津堅島と久高島は、元はひとつの「双子の島」だった?

 人身御供を求める大蛇を退治するマータンコーの祭り。
その尻尾から出た聖なる剣は、生贄を捧げる代わり
 に島人たちが得た、海神の依り代だったのだろう。

いっぽう、島の女たちが霊力(しじ)を得て神女に
 昇格する祭りが久高島のイザイホーだったが、その
  発祥は、当然のこと、琉球王朝以前に遡ると考える。

「マータンコーも王朝の祭りではない。7つの首の蛇
とは、本島の北東から南へ並ぶ7つの島々。そこで
  行われていた御先(うさち=縄文)の祭り」と語り部。

 「7つ島のひとつ伊計島でも行われたか」とも言ったが、
  7つの首の蛇とは、海神族の住む島々の比喩でもあった。
  セーナナー(古代海人族)の故郷だったと言うべきか…。


最近は観光客にも人気という伊計島のセーナナー付近
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ところで、八岐大蛇の尻尾から出た天村雲剣、つまり
草薙の剣は、文字通り、蛇行剣だったとの説もある。
薙とは「ナーガ=龍蛇」、草とは「臭し=似ている」
と、古語の意味を当てれば、龍蛇の動きを模している
 …という解釈が、なんだかとても信憑性を帯びてくる。

何年か前の話になるが、「草薙の剣はどのような形を
していると思うか?」と聞くと、語り部もこう言った。

「真っ直ぐではありませんね。7つの首の蛇のような、
ちょっとイビツな形をしていると思います。それは、
 幻の大陸の護り神であり、超古代に琉球に渡ったもの。
  剣にまつわる伝承は、もう津堅島にしか遺っていません」


古代刀と鉄の科学』から拝借した草薙の剣想定図
黒潮の民〈12〉海神の生贄(いけにえ)_a0300530_07593246.jpg





 それを書いた過去ログ「地下神殿はあった〜熱田神宮
 を探すと、「ヤマトタケル」シリーズで見つかった。
人ごとのようだが、8年ほど前、ヤマトタケルの東征譚
 を追うように、三峰神社など、所縁の地に参っていた。
  そして、その前のシリーズ…と言えば「7つの首の蛇」。

 同じテーマがループしていることに気づいて苦笑するが、
あのときなぜ、ヤマトタケルや7つ首に興味が向いたか
というと、語り部が、津堅島でヤマトタケルの子孫を
霊視したことがあるという話が発端になっていたのだが、
まさか…と思う私は、その点をあえてスルーしていた。

ヤマトタケルの子孫が渡来したとは、どんなことか。
語り部の視たものを、もう一度思い出してもらおうか。
果たして、ヤマトタケルは古代海人族の子孫なのか…?


「7つ首」のひとつ浜比嘉島にはアマミキヨの墓がある
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by utoutou | 2023-08-15 17:04 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(0)
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