『卑弥呼神社』の著者で、鹿児島神宮境内に卑弥呼 神社を創建した松下兼知氏は、現在の社名でもある 卑弥呼と卑弥弓呼を並祀した理由について、著書 では述べていないが、邪馬台国の時代の民族移動 について、「北進説」をとっているのが興味深い。 要約すると…日本列島には、およそ9千年前より 南方からの民族がくり舟で黒潮に乗って到達し、 先住の縄文民族だったアイヌや土蜘蛛を追いやり、 あるいは混血して、高千穂王朝(南九州の倭国)を 打ち立てたが、4世紀末ごろからは、大陸からの 北方民族が侵入して、大和・奈良文化を形成したと。 つまり、卑弥呼と卑弥弓呼は、琉球の島々を渡って 北上した南方民族の長であった…とも解釈できる。 そのためか卑弥呼・卑弥弓呼神社の社殿(右の建物) は、伊勢神宮正殿と同じ「唯一神明造り」である。 棟持柱(むなもちばしら、棟を外から支える柱) は、南方型の高床式家屋や祭屋の特徴だという。 ※写真はトリップアドバイザーのサイトより拝借 ![]() これは、300年前に整備された宮内原用水という。 ※図は鹿児島県の観光情報じまんばな誌より拝借 (鹿児島神宮と天降川の赤丸は、当方の加工です) ![]() 用水路は天降川の支流から引いて造られたという。 ↓こちらの写真は、鹿児島神宮に参ったあの日、 「熊襲の穴(過去ログ)」の駐車場から見た天降川。 青緑の川と(火山性の?)白州との対比が美しい。 以来、私は天降川を密かに「熊襲の川」と呼ぶ ![]() 先日、「天降川は熊襲が遡った川では?」と聞くと、 語り部はあっさりと即答して、聞き返してきた。 「そうですよ。その川の河口に住吉という場所が ありませんか? 弁天島という島もありますか?」 「えっ、知らないので調べてみますね」と言い、 すぐに霧島市隼人町住吉をGoogleMapで検索する。 どちらもすぐに見つかったが、語り部の霊視は続いた。
by utoutou
| 2023-09-04 11:14
|
Trackback
|
Comments(0)
|
![]() by utoutou
カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||