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卑弥弓呼〈 3 〉熊襲の川

『卑弥呼神社』の著者で、鹿児島神宮境内に卑弥呼
神社を創建した松下兼知氏は、現在の社名でもある
卑弥呼と卑弥弓呼を並祀した理由について、著書
では述べていないが、邪馬台国の時代の民族移動
  について、「北進説」をとっているのが興味深い。

要約すると…日本列島には、およそ9千年前より
南方からの民族がくり舟で黒潮に乗って到達し、
 先住の縄文民族だったアイヌや土蜘蛛を追いやり、
あるいは混血して、高千穂王朝(南九州の倭国)を
打ち立てたが、4世紀末ごろからは、大陸からの
  北方民族が侵入して、大和・奈良文化を形成したと。

つまり、卑弥呼と卑弥弓呼は、琉球の島々を渡って
 北上した南方民族の長であった…とも解釈できる。

 そのためか卑弥呼・卑弥弓呼神社の社殿(右の建物)
 は、伊勢神宮正殿と同じ「唯一神明造り」である。
 棟持柱(むなもちばしら、棟を外から支える柱)
 は、南方型の高床式家屋や祭屋の特徴だという。
※写真はトリップアドバイザーのサイトより拝借
卑弥弓呼〈 3 〉熊襲の川_a0300530_07014226.png








神社建立の前年に、鹿児島県鹿屋市の
王子遺跡から、棟持柱の跡が発見されたことから
 それは「伊勢神宮本殿の原型か」と、氏は記した。

ところで、卑弥呼・卑弥弓呼神社の前、というより
 鹿児島神宮の南面には、灌漑用水路が流れている。
そのため、境内へは石橋を渡って入るわけだが、
これは、300年前に整備された宮内原用水という。
※図は鹿児島県の観光情報じまんばな誌より拝借
(鹿児島神宮と天降川の赤丸は、当方の加工です)
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 用水路は天降川の支流から引いて造られたという。
 ↓こちらの写真は、鹿児島神宮に参ったあの日、
「熊襲の穴(過去ログ)」の駐車場から見た天降川。
 青緑の川と(火山性の?)白州との対比が美しい。
以来、私は天降川を密かに「熊襲の川」と呼ぶ
卑弥弓呼〈 3 〉熊襲の川_a0300530_07481488.jpg








先日、「天降川は熊襲が遡った川では?」と聞くと、
語り部はあっさりと即答して、聞き返してきた。

「そうですよ。その川の河口に住吉という場所が
ありませんか? 弁天島という島もありますか?」
「えっ、知らないので調べてみますね」と言い、
すぐに霧島市隼人町住吉をGoogleMapで検索する。

どちらもすぐに見つかったが、語り部の霊視は続いた。


by utoutou | 2023-09-04 11:14 | Trackback | Comments(0)
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