人気ブログランキング | 話題のタグを見る

卑弥弓呼〈 4 〉熊襲は琉球民族

語り部が地名を言うとき、いつも疑問形になるのは、
それが、(神託らしきものの)私への伝言だからだ。

 現・隼人町を流れて錦江湾に注ぐ天降川の周辺に、
「住吉という場所はありませんか?」「弁天島は?」
 と聞いたが、彼が受けたのは直言に違いなかった。

次に出た疑問形は、「ワケという場所」だった。
「ワケという場所はありませんか?」と。
今度は、知りません…とは答えなかった。

あの日、鹿児島神宮→隼人塚→霧島神宮→熊襲の穴
 車で移動、熊襲の穴の手前で和気神社の看板を見た。

NAVITIMEで振り返ると、霧島神宮→熊襲の穴は30分。
熊襲の穴のある妙見温泉の手前に「和気」はあった
卑弥弓呼〈 4 〉熊襲は琉球民族_a0300530_07150806.png







「和気神社ができた土地に、何があったんですか?」
聞くと、語り部は言う。「熊襲がいたと思います」
「熊襲の穴の近くですからね。では住吉や弁天島にも?」
「はい…」

熊襲は曽於(そお)に点在していたとも言った。
曽於地方とは、日向(宮崎県)と大隅(鹿児島県)を
またぐ山岳地帯で、中心は天降川源流の国見山あたり。

熊襲とは「ソにいたクマ」…それが語り部の見立てだ。
クマは、マク(沖縄の古代血族集団)の逆なのだと。
つまり、言外に熊襲とは琉球民族だと伝えている。
また、決して大和朝廷への反逆者ではなかったとも。

あぁそれでか…と、いまさら思い出すことがある。
熊襲の穴で、私は何度か首をひねっていた。


駐車場から坂道を登ると、日本武尊(ヤマトタケル)
と熊襲と隼人の名が、看板に仲良く並んでいる。
ヤマトタケルは熊襲の長を惨殺したはずでは…?
卑弥弓呼〈 4 〉熊襲は琉球民族_a0300530_08035628.jpg





休憩所の四阿には「神々の里」と。神々とは熊襲…?
卑弥弓呼〈 4 〉熊襲は琉球民族_a0300530_08040133.jpg






極め付けは、他でもない「熊襲の穴」の中にあった。
そこでは、「熊襲こそ貴族」と題した説明板を見た。
地元の伝承とはいえ、いくらなんでも熊襲が貴族…?







by utoutou | 2023-09-06 09:40 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 卑弥弓呼〈 5 〉熊襲の王 卑弥弓呼〈 3 〉熊襲の川 >>