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卑弥弓呼〈 5 〉熊襲の王

「熊襲の穴」は、熊襲と呼ばれた一族が住んでいた
 という洞穴。いまでは観光名所として甦っている。
 ただ洞窟の入口で照明を点けることを知らなかった
 ので、入った途端にブラックアウト。足がすくんだ。
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この洞穴は、熊襲の首領・川上梟帥(たける)が、
女装したヤマトタケルに、誅殺された舞台という。
いわゆる熊襲武(クマソタケル)が絶命した地。
歴史は、4世紀あたりにまでさかのぼるようだ。

第一洞穴は百畳敷き、第二洞穴は、いまは崩壊により
入れないが、三百畳敷きの広さがある…との説明板
の次に、「熊襲こそ貴族」と題する掲示はあった。
この一帯、妙見温泉の地主らしき個人名が末尾に
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要約すると、次のような内容となっている。

☆日本書紀によれば、1200年前、ここに居を構える
 熊襲族の大将・川上梟帥(武)の石の寝台が完成。
その祝いに、熊本・宮崎・鹿児島にまたがる55部族
の大将らが参集、酒盛りをしていると、景行天皇の皇子
である16歳の小碓命(こうすのみこ)が女装して侵入。

☆「綺麗な女だ」と言う川上梟帥(武)と二人きりに
 なると、小碓命はその背中を隠し持った刀で刺し言った。
「朝貢しないお前らを、征伐しに来た」
瀕死の武は言った。「強いあなたに私の名を献上する。
小碓命を日本武尊(ヤマトタケル)と変えてもらいたい」

☆55の部族の大将たちを前に、武はこうも言った。
「ヤマトタケルノミコトを朝廷まで無事に届けよ」と。
 熊襲族は統制力ある首領の厳命に従い、解散した。

「この物語を心の支えとして受け止めてこそ貴族」
と締め括った一文を、あのときは理解できずにいた
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実はいま那覇に来ており、語り部にこの話をした。

「殺されても名を献上する熊襲王…意味が分からない。
 逆に言えば、大和朝廷にとって都合がよすぎません?」

 すると語り部は言う。私をさえぎるように。
「ちょっと待ってください。その王が立たれて…
 何バカなことを言っているのかと怒っておられる。
私は殺されたわけではない、と」

なんですと⁉︎
 一瞬、私は放心状態に陥り、語り部の横顔を見た…。








by utoutou | 2023-09-07 13:47 | Trackback | Comments(0)
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