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卑弥弓呼〈 7 〉日高見の王

「日高見の王」を名乗り、国見岳を背に立つ熊襲の王。
 白い着物を纏い、体格は頑丈、顔の印象は南方系。
長い黒髪を両耳の下で束ねており、その上から、
渦巻きの金細工が幾筋も下がる冠を被っているという。


熊襲の穴(王の住居跡)の入口を内部から見る。
壁画アートの渦巻きが、王冠のデザインに似ている?
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そして、国見岳とは、鹿児島県姶良郡湧水町の山か。
天降川は霧島連山に連なる国見岳南麓を源流とする。

天降川ふるさとの川河川公園から望む霧島連山。
国見岳はその西方(霧島市観光協会サイトより拝借)
卑弥弓呼〈 7 〉日高見の王_a0300530_12374515.png










ということはともかく、王の話を聞いたときは、
「熊襲の王が、なぜ日高見の王? 」と、思ったものだ。
で、語り部の顔を覗き込む。ここは南薩の天降川だ。
普通、日高見国とは東北地方にあった蝦夷の国をいう。

ところが、語り部は言った。
 「日の出る国、日の高い国、倭こそが日高見の国…。
熊襲がいた地域は、九州に限らないように見えます」

確かに、ヤマトタケルは出雲にも先住民の征討に出た。

つまり、大和朝廷によって大和が統一される以前、
日高見という熊襲王の統べる国があったということか。

とすれば、なおさら、その日高見の王が、
「私は殺されたわけではない」と力説する理由が
やっぱり分からないと、あれから何日も考えていた。

 熊襲の王・川上タケルが、自らその王号を献上するに
相応しい相手として小碓命を認めた、理由とは…?

ようやく紐解いた答えは、剣だった。
天叢雲の剣(草薙の剣)ではなく、ヤマトタケルが持つ
もう一振の剣に、日高見の王が王号を譲った理由があると。

熊襲の穴に侵入したヤマトタケルが懐に忍ばせたのは、
 人を斬ることのできる硬い剣だった。いっぽう、
草薙の剣は、文字通り、草を薙ぎ倒せるだけの脆い剣。

 二種の剣を持つ小碓命は、景行天皇の皇子であると
  同時に、「日高見の王」の末裔だったかもしれない…。


 熊襲の穴の出入口を振り返ると、外側は見事な草壁
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by utoutou | 2023-09-17 10:40 | Trackback | Comments(0)
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