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卑弥弓呼〈 8 〉大王の山

 景行天皇の皇子・小碓命に襲われた熊襲の首領は、
ある理由から、「タケル」の名を献上したと語った。
王の別名は川上タケル。背景には、国見岳があった。
小碓命がヤマトタケルと名乗るようになったのは、
その「日高見の王」と出会ってからのことという。

などと、那覇で聞いた語り部の話を振り返りながら、
何日かの間、どうも釈然としない思いを抱いていた。

熊襲の穴(霧島市隼人町)の近くを流れる天降川の
川上にある国見岳を、本当に語り部は視たのだろうか?
その標高は648m、天降川は全長4㎞の二級河川。
「日高見の王の山」にしてはスケールが小さいのでは?

いっぽう、熊本県にも国見岳はある。八代市と宮崎県の
椎葉村にまたがる熊本県最高峰で、標高は1739m。
  全長115㎞の一級河川・球磨川の源流域に位置する。

 熊襲はいわばその二つの国見岳の周辺に居住していた。

 薩摩側には、時代降って贈於(曽、襲)君の一族がいた。
 肥後側には、時代降って球磨贈於と呼ばれる民がいた。
球磨(くま)と曽於(そう)を併せて、「熊襲」と
 呼ばれたという考え方が、学会の通説であるという。

『山川日本史辞典』で「熊襲」について次の解説を読む。
〜「古事記」「日本書紀」に登場する古代の南九州の地名、
またはその地域の居住者の称。「古事記」では熊會、
「日本書紀」では熊襲、肥後・筑前の風土記では球磨贈於
と書く。語源についてはクマ地方(肥後国球磨郡、熊本県
 人吉盆地)とソオ地方(大隅国贈於群、鹿児島県国分平野を
中心とする一帯、會国ともされる)の並称とする説と、
ソ=ソオに獰猛の意のクマの語を冠したという説がある 〜

王の背景となった国見岳は鹿児島県内とは限らない…
とのことで、語り部にLINEで聞いてみたのだった。

「日高見の王が立たれたときに、後ろに視えた山は、
 鹿児島県の国見岳でしたか? それとも熊本県の国見岳?」

すぐに返信が来た。
「熊本の国見岳だと思いました。約1740mの山。
頂上は岩で、四方八方が見渡せる場所です。
さらに後方には、阿蘇山が視えました」



熊本県の国見岳(八代市泉町)は、熊本県最高峰。
平家の落人伝説も残る秘境のようで、山頂からは
阿蘇山・祖母山・霧島連山・雲仙岳の山も展望できる
(写真はひむか共和国サイトより拝借)
卑弥弓呼〈 8 〉大王の山_a0300530_12121277.jpg







私は、間髪入れずに返信した。
「標高も一致している。 熊本県の国見岳だったんですね!」
語り部もこう返した。
 「はい、日高見の王とは、火の国(日の国)を治める
大王(おおきみ)ですから」

  私の中で、国見岳にかかった霧のような疑問は晴れた。
と同時に、新たな考えが浮上してきた。

 球磨贈於と呼ばれた一族の居住していた球磨川流域は、
卑弥弓呼の治めた狗奴国のあった場所ではないのか?
ようやく卑弥弓呼について考える段階に来たようだ。


2021年11月に旅した阿蘇山。
10月に噴火した中岳からはまだ噴煙が上がっていた
卑弥弓呼〈 8 〉大王の山_a0300530_14193185.jpg








阿蘇カルデラには人が住んでいる。
火山灰土壌は稲作には向かないが、湧水が豊富。
樹木がよく育ち、弥生人より縄文人向きだという
卑弥弓呼〈 8 〉大王の山_a0300530_14412002.jpg







by utoutou | 2023-09-17 21:08 | Trackback | Comments(0)
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