景行天皇の皇子・小碓命に襲われた熊襲の首領は、 ある理由から、「タケル」の名を献上したと語った。 王の別名は川上タケル。背景には、国見岳があった。 小碓命がヤマトタケルと名乗るようになったのは、 その「日高見の王」と出会ってからのことという。 などと、那覇で聞いた語り部の話を振り返りながら、 何日かの間、どうも釈然としない思いを抱いていた。 熊襲の穴(霧島市隼人町)の近くを流れる天降川の 川上にある国見岳を、本当に語り部は視たのだろうか? その標高は648m、天降川は全長4㎞の二級河川。 「日高見の王の山」にしてはスケールが小さいのでは? いっぽう、熊本県にも国見岳はある。八代市と宮崎県の 椎葉村にまたがる熊本県最高峰で、標高は1739m。 全長115㎞の一級河川・球磨川の源流域に位置する。 熊襲はいわばその二つの国見岳の周辺に居住していた。 薩摩側には、時代降って贈於(曽、襲)君の一族がいた。 肥後側には、時代降って球磨贈於と呼ばれる民がいた。 球磨(くま)と曽於(そう)を併せて、「熊襲」と 呼ばれたという考え方が、学会の通説であるという。 『山川日本史辞典』で「熊襲」について次の解説を読む。 〜「古事記」「日本書紀」に登場する古代の南九州の地名、 またはその地域の居住者の称。「古事記」では熊會、 「日本書紀」では熊襲、肥後・筑前の風土記では球磨贈於 と書く。語源についてはクマ地方(肥後国球磨郡、熊本県 人吉盆地)とソオ地方(大隅国贈於群、鹿児島県国分平野を 中心とする一帯、會国ともされる)の並称とする説と、 ソ=ソオに獰猛の意のクマの語を冠したという説がある 〜 王の背景となった国見岳は鹿児島県内とは限らない… とのことで、語り部にLINEで聞いてみたのだった。 「日高見の王が立たれたときに、後ろに視えた山は、 鹿児島県の国見岳でしたか? それとも熊本県の国見岳?」 すぐに返信が来た。 「熊本の国見岳だと思いました。約1740mの山。 頂上は岩で、四方八方が見渡せる場所です。 さらに後方には、阿蘇山が視えました」 ![]() 私は、間髪入れずに返信した。 「標高も一致している。 熊本県の国見岳だったんですね!」 語り部もこう返した。 「はい、日高見の王とは、火の国(日の国)を治める 大王(おおきみ)ですから」 私の中で、国見岳にかかった霧のような疑問は晴れた。 と同時に、新たな考えが浮上してきた。 球磨贈於と呼ばれた一族の居住していた球磨川流域は、 卑弥弓呼の治めた狗奴国のあった場所ではないのか? ようやく卑弥弓呼について考える段階に来たようだ。 2021年11月に旅した阿蘇山。 10月に噴火した中岳からはまだ噴煙が上がっていた ![]() 阿蘇カルデラには人が住んでいる。 火山灰土壌は稲作には向かないが、湧水が豊富。 樹木がよく育ち、弥生人より縄文人向きだという ![]()
by utoutou
| 2023-09-17 21:08
|
Trackback
|
Comments(0)
|
![]() by utoutou
カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||