『魏志倭人伝』の言う邪馬台国はどこにあるのか? 女王・卑弥呼の奴国と卑弥弓呼の狗奴国はどこだ? といったテーマを、実は避けてきたような気がする。 「邪馬台国は大和か九州か」という邪馬台国論争には 興味がなかったわけではない。どちらかというと九州説 を支持して、古田武彦氏の講座を受講したこともある。 「狗奴国は熊襲である」と書いた松本清張氏説も読んだ。 「狗奴国は九州倭国だった」とする水野祐説氏も読んだ。 「熊襲の狗奴国が女王国を破った」などの森浩一氏説も。 よく奈良盆地を旅した当時は、大和説も読んだりした。 『魏志倭人伝』そのものより、むしろ「論争本」だが。 主だった九州説では、狗奴国は現在の熊本県の菊池川 や球磨川沿いにあった、とする。まさにそれは語り部の 視る「大王が国見岳と阿蘇山を背に立つ日高見の国」だ と、ここへきて考えるけれども、大王の現れた時代とは、 ヤマトタケルが熊襲征討に出たと伝説にいう4〜5世紀。 いずれにしても魏志倭人伝の3世紀とは時代が異なる。 ということで、反射的に1冊の本に思い至ったのである。 そう言えば、昨年末、一支国博物館(壱岐島)の 廊下で、電飾の魏志倭人伝を見たときも、後半の 「此女王境界所盡」(これ女王の境界の尽くる所)と、 「其南有狗奴国」(その南には狗奴国有り)のくだりで 原田説が甦った。「尽くる所」とは鹿児島最南端の島か? ![]() 原田氏の研究による『魏志倭人伝』の読み解きでは、 奴国は与論島、狗奴国は沖縄諸島ということである。 また、 邪馬台国・九州説が言う狗奴国(現・八代市)は、 原田説では、沖縄の狗奴国にいた熊襲族(球磨族)の 植民地だったが、卑弥呼の死後、北上して、八代市を 河口とする球磨川を遡り、人吉盆地に定住したという。 人吉盆地(地図は国土交通省HP球磨川より拝借)は、 赤色で示された球磨川に沿って三日月の型に広がる。 県境の東北に国見岳(赤丸は当方の加工)が位置する ![]() 原田氏著『古代日本正史』付録の邪馬台国の位置図。 邪馬台国とする西都から狗奴国までを「1万2千里」、 斯馬国(種子島)から奴国(与論島)まで、21島ある 奄美諸島を、「女王国以北(の国々)」と読み解いた。 すると「奴国の南」に位置する沖縄本島が狗奴国となる ![]() ようやく狗奴国・沖縄説を書いたこともあり、 その位置について、語り部の意見を聞いてみる。 「卑弥弓呼がいた狗奴国の位置はどこだと思います?」 すると、淀みなく語り部は言ったのである。 「那覇あたりだと思っていましたよ、前々から」 「あ、そうだったんですかー」 つづく…
by utoutou
| 2023-09-21 16:18
|
Trackback
|
Comments(3)
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> taso7さん
コメント、情報、ありがとうございます。 宮崎県の西都原古墳群、行きたいですね。11月5〜6日に陵墓が一般開放されるとか。もちろん考古博物館も拝見したいですし、以前に書きました比木神社https://mintun.exblog.jp/241557517/など児湯郡にある各社も廻ってみたいです。卑弥呼伝説もそうですが、熊襲・日下部・葛城の繋がりを感じながら、歩いてみたいなと。ちょっとその気になって計画してみます💕
1
> うささん
コメントありがとうございます。球磨郡に隣接する西米良村のホームページをいま拝見、村の桜が満開の美しい写真でした。いつだったか西都原や高鍋のことを調べたとき、一ノ瀬川はどこが源流なのか?と思い地図を見ていたのですが、一ノ瀬ダム? から西米良村はホント近いですよね。いまの時代はポツンと一軒家かもしれないですが、あのとき、古代はひょっとすると肥後へと突っ切る川か馬道があって、隠れた交通の要所だったのでは?と妄想しました。三尾の狐の石像も、狭上稲荷という神社名も気になりますね。いよいよ旅に出たくなりました。笑
|
![]() by utoutou カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||