『曽の隼人』(霧島郷土史研究会、平成23年刊) という本を、旅先で購入したのは2年前の11月。 霧島市の隼人塚史跡館か鹿児島神社のどちらかで。 「曽」の隼人…と銘打っているところにソソられた。 「球磨」の隼人…と区別しているらしいのはなぜ? 霧島市の郷土史として、熊本県と一線を画したのか? 記紀が描いた南九州の先住民族・熊襲とは「球磨」 と「曽・襲」の地域を表し、それは、肥後の南部、 大隅の北西部、日向の南西部を併せた一帯のこと… という認識でいたのだったが、本の題名に「曽」と あえて冠したのは、他の地域との違いがあるからか …と感じたのが、その本を購入した動機だった。 表紙にあしらわれた写真は、曽の本拠地であり、 天孫ニニギノミコトの降臨地となった霧島山だ。 タイトルの背景に宮中儀式となった隼人舞の写真が。 サブタイトルに「大隅国1300年を迎えて」とある ![]() 表紙を改めて見て、つくづくと思う。 「これは大和朝廷の進軍と隼人の抵抗の記録」だと。 「大隅国1300年」とは、713年の大隅国設置を指す。 それ以前、日向国という大地域に豪族が割拠していた。 私が認識していた「熊・曽(襲)」がこれに当たる。 ところが、日向国を分け薩摩国が新たに設置された。 という経緯を経て、遂に大隅国が置かれ国司が来た。 720年、隼人は国司を斬首して最終抗戦に突入する。 主戦力・犠牲者となった大隅隼人が「曽の隼人」だ。 隼人資料館で見た図↓は、統一国家への動きに抗い 追い詰められるように南下した隼人勢力の変遷図か。 同時に、ヤマト進出(緑色部分)の歴史でもある ![]() 町の調査団が中国の研究者に見てもらうと、三国志 時代(3世紀)に江南地方(呉の地域)で造られた りゅう金獣帯鏡と判明。出土例は日本で3枚、 中国でも10枚しか出ていないという ![]()
by utoutou
| 2023-10-13 10:54
| 天孫氏
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