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天孫氏は火の一族〈128〉八幡神とは何か

「では、元々の八幡大神とはなんぞや?」
と、先日、問われた語り部はこう答えたという。
「スサノオ…牛頭天王…」
 すると月の砂漠を進む隊列のイメージが浮かんだと。

私には難しい謎解きだ。砂漠といえばVIVANTだな…
いや冗談を言っている場合ではない…ので、考えた。
八幡大神、スサノオ、そして渡来一族の関係について。

時代は紀元前、ユーラシア大陸を東へと進んだ隊列は、
朝鮮半島での定住を経て、船で極東の島々に辿り着く。
その渡来一族は、やがて秦氏と呼ばれるようになった。

端緒は、秦が漢に滅ぼされた紀元前206年に遡る。
秦の始皇帝の末裔とされる秦氏は、秦の滅亡後、次第
に東へ逃れ、朝鮮半島の辰韓(後の新羅)に留まった。

最初の渡来は5世紀前後、それから100年ほどの間に
断続的に渡来した。彼らは養蚕・製鉄・土木などに
長けた技術集団で日本の文化・信仰にも深く関与した
↑ 夕景写真は、TBS日曜劇場『VIVANT』サイトから拝借

↓『VIVANT』ごっこで話題という鳥取砂丘。'17年撮影
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さて、
冒頭の「八幡大神」に戻り…前回のブログにも書いた
 隼人の浜下り(放生会)について、改めて考察した。

鹿児島神宮の放生会は、720年(養老4年)の抗戦で
犠牲者を出した大隅隼人を慰霊するために始まった。
隊列は多くの旗を掲げる。歴史絵巻にも描かれたその
旗は、やはり「八幡大神」と不可分な関係にあった。

鎌倉時代の『八幡宇佐宮御託宣集』は、こう伝える。

〜 八幡大神は、辛国の城に八流の旗と
天降り、日本の神になった。〜

八流の旗は、八幡神とともに降臨した依代だった。
また、辛国とは「延喜式神明帳」に記される式内社 
・韓国(からくに)宇豆峯神社が座す、大隅国を指す。

「韓国」という社名は、奉祀した辛島氏が新羅から
 渡来した秦氏系の氏族だったことを表している。
  また辛島氏の祖神は須佐之男命・五十猛命だという。 
  つまり、スサノオこそが「元々の八幡神」であった。


韓国宇豆峯神社(国分市上井)※4travel.jpより拝借
御祭神は、五十猛命、事代主神。
『神代山陵考』(1792年)では、五十猛命、韓神、
曾富理神(そふりのかみ)の三柱となっている
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朝廷軍が「反乱の民」とした隼人を教化するために、
5千人を豊前から大隅に移住させたのは713年という。

 その痕跡として、大隅国には豊前国と同名の地がある。
  例えば「桑原」は、豊前国の田川郡香春郷が源だという。 
 桑の葉は、秦氏が得意とする養蚕のための蚕の食料だ。
  
そう言えば、香春神社には以前に参ったことがあった…。
  










by utoutou | 2023-10-26 23:52 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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