「では、元々の八幡大神とはなんぞや?」 と、先日、問われた語り部はこう答えたという。 「スサノオ…牛頭天王…」 すると月の砂漠を進む隊列のイメージが浮かんだと。 私には難しい謎解きだ。砂漠といえばVIVANTだな… いや冗談を言っている場合ではない…ので、考えた。 八幡大神、スサノオ、そして渡来一族の関係について。 時代は紀元前、ユーラシア大陸を東へと進んだ隊列は、 朝鮮半島での定住を経て、船で極東の島々に辿り着く。 その渡来一族は、やがて秦氏と呼ばれるようになった。 端緒は、秦が漢に滅ぼされた紀元前206年に遡る。 秦の始皇帝の末裔とされる秦氏は、秦の滅亡後、次第 に東へ逃れ、朝鮮半島の辰韓(後の新羅)に留まった。 最初の渡来は5世紀前後、それから100年ほどの間に 断続的に渡来した。彼らは養蚕・製鉄・土木などに 長けた技術集団で日本の文化・信仰にも深く関与した ![]() ↓『VIVANT』ごっこで話題という鳥取砂丘。'17年撮影 ![]() さて、 冒頭の「八幡大神」に戻り…前回のブログにも書いた 隼人の浜下り(放生会)について、改めて考察した。 鹿児島神宮の放生会は、720年(養老4年)の抗戦で 犠牲者を出した大隅隼人を慰霊するために始まった。 隊列は多くの旗を掲げる。歴史絵巻にも描かれたその 旗は、やはり「八幡大神」と不可分な関係にあった。 鎌倉時代の『八幡宇佐宮御託宣集』は、こう伝える。 〜 八幡大神は、辛国の城に八流の旗と 天降り、日本の神になった。〜 八流の旗は、八幡神とともに降臨した依代だった。 また、辛国とは「延喜式神明帳」に記される式内社 ・韓国(からくに)宇豆峯神社が座す、大隅国を指す。 「韓国」という社名は、奉祀した辛島氏が新羅から 渡来した秦氏系の氏族だったことを表している。 また辛島氏の祖神は須佐之男命・五十猛命だという。 つまり、スサノオこそが「元々の八幡神」であった。 韓国宇豆峯神社(国分市上井)※4travel.jpより拝借 御祭神は、五十猛命、事代主神。 『神代山陵考』(1792年)では、五十猛命、韓神、 曾富理神(そふりのかみ)の三柱となっている ![]() 朝廷軍が「反乱の民」とした隼人を教化するために、 5千人を豊前から大隅に移住させたのは713年という。 その痕跡として、大隅国には豊前国と同名の地がある。 例えば「桑原」は、豊前国の田川郡香春郷が源だという。 桑の葉は、秦氏が得意とする養蚕のための蚕の食料だ。 そう言えば、香春神社には以前に参ったことがあった…。
by utoutou
| 2023-10-26 23:52
| 天孫氏
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