香春神社(福岡県田川郡香春町)に参ったのは6年前。 福岡に所用があって滞在中、ふと足を延ばした。 この豊前国の香春神社と、大隅国の辛国宇豆峯神社 が、隼人と秦氏と銅鏡で繋がっていることはまだ 知らなかった。その繋ぎ目に八幡神がいることも。 駅に降りると香春岳が見える。右の一の岳が平らだ。 (※新旧の画像は、カワラ・カケルサイトを参照) 山容はセメント材を採掘した跡だが、古来、香春岳 からは金・銀・銅・鉛・亜鉛・鉄などが採掘された。 翌日「辛国息長大姫大目命」というブログを書いた。 江戸時代までは神社名でもあったというその祭神名 は「辛(韓)国の神」。新羅からの渡来を意味する。 古代豪族・息長氏は、天之日矛を祖神とする新羅 からの渡来氏族。また秦氏は、応神天皇の時代以降、 やはり新羅から渡来したというが、ここで銅山開発 をしていたとは、参拝しただけでは分からなかった ![]() 香春岳とは、並ぶ一の岳、ニの岳、三の岳の総称。 其々の山に祀られていた祭神が、702(和銅2)年 になって南麓のこの地に遷祀されたという。元来、 三の岳の祭神・豊比売命は、銅山の守護神だったか ![]() 加藤謙吉氏は『秦氏とその民』で、こう述べる。 (要約) ☆三の岳は黄銅鉱を埋蔵。古来、採銅が盛んだった。 「採銅所村」の地名と、古宮八幡宮が現在も残る ☆三の岳の東麓には、宇佐八幡宮に奉納する神鏡用 の銅を採掘した坑道と鋳造所(清祀殿)があった ☆6〜7世紀には、既に、香春岳での自然銅採取と、 本格的精錬工程が開発されていた。こうした生産 形態に対応できる渡来集団は、秦氏の他にいない ![]() 秦氏はここ香春で神鏡を造り、宇佐神宮に納めた。 その銅鏡は、隼人の死者を慰霊する「隼人の浜下り」 (放生会)で、実は非常に重要な意味を占めていた。 『日本にあった朝鮮王国』の著者・大和岩雄氏は… このように述べている。 〜八幡宮の最大の祭事は放生会だが、中でも最も 重要なのは、香春岳の銅で作られた神鏡を香春の 採銅所にある古宮八幡宮から、宇佐の和間浜まで 運ぶ神幸行事である。神鏡は八幡宮の御神体と 言われるが、実は幡を先頭に巡行したのではないか 〜 前回ブログで、 元々の八幡神とは幡(旗)=スサノオだと推理した が、須佐之男命は「韓鍛治の神」でもある。つまり 隼人を慰霊する放生会には真の八幡神が隠れていた。
by utoutou
| 2023-10-28 17:15
| 天孫氏
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Comments(1)
> 匿名さん
コメントありがとうございます。 三つ巴で同じですね。そして、既に因縁が断たれる時代に入っているのではないかと思います。
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![]() by utoutou
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