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天孫氏は火の一族〈129〉秦氏の銅鏡

 香春神社(福岡県田川郡香春町)に参ったのは6年前。
福岡に所用があって滞在中、ふと足を延ばした。

この豊前国の香春神社と、大隅国の辛国宇豆峯神社
が、隼人と秦氏と銅鏡で繋がっていることはまだ
知らなかった。その繋ぎ目に八幡神がいることも。

 駅に降りると香春岳が見える。右の一の岳が平らだ。
(※新旧の画像は、カワラ・カケルサイトを参照)
山容はセメント材を採掘した跡だが、古来、香春岳
 からは金・銀・銅・鉛・亜鉛・鉄などが採掘された。

翌日「辛国息長大姫大目命」というブログを書いた。
江戸時代までは神社名でもあったというその祭神名
 は「辛(韓)国の神」。新羅からの渡来を意味する。
     
古代豪族・息長氏は、天之日矛を祖神とする新羅
からの渡来氏族。また秦氏は、応神天皇の時代以降、
やはり新羅から渡来したというが、ここで銅山開発
をしていたとは、参拝しただけでは分からなかった
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香春岳とは、並ぶ一の岳、ニの岳、三の岳の総称。
其々の山に祀られていた祭神が、702(和銅2)年
になって南麓のこの地に遷祀されたという。元来、
三の岳の祭神・豊比売命は、銅山の守護神だったか
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 加藤謙吉氏は『秦氏とその民』で、こう述べる。
(要約)
☆三の岳は黄銅鉱を埋蔵。古来、採銅が盛んだった。
「採銅所村」の地名と、古宮八幡宮が現在も残る

☆三の岳の東麓には、宇佐八幡宮に奉納する神鏡用
の銅を採掘した坑道と鋳造所(清祀殿)があった

☆6〜7世紀には、既に、香春岳での自然銅採取と、
 本格的精錬工程が開発されていた。こうした生産
 形態に対応できる渡来集団は、秦氏の他にいない
天孫氏は火の一族〈129〉秦氏の銅鏡_a0300530_12041723.jpg





秦氏はここ香春で神鏡を造り、宇佐神宮に納めた。
その銅鏡は、隼人の死者を慰霊する「隼人の浜下り」
(放生会)で、実は非常に重要な意味を占めていた。

『日本にあった朝鮮王国』の著者・大和岩雄氏は…
このように述べている。
〜八幡宮の最大の祭事は放生会だが、中でも最も
 重要なのは、香春岳の銅で作られた神鏡を香春の
採銅所にある古宮八幡宮から、宇佐の和間浜まで
 運ぶ神幸行事である。神鏡は八幡宮の御神体と
  言われるが、実は幡を先頭に巡行したのではないか 〜

  前回ブログで、
元々の八幡神とは幡(旗)=スサノオだと推理した
が、須佐之男命は「韓鍛治の神」でもある。つまり
 隼人を慰霊する放生会には真の八幡神が隠れていた。






by utoutou | 2023-10-28 17:15 | 天孫氏 | Trackback | Comments(1)
Commented by utoutou at 2023-10-31 09:35
> 匿名さん
コメントありがとうございます。
三つ巴で同じですね。そして、既に因縁が断たれる時代に入っているのではないかと思います。
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