香春神社(福岡県田川郡香春町)の祭神である 辛国息長大姫大目命は、筑前國や豊前國の『風土記』 に「新羅の国の神、自ら渡り来て、この河原に住み」 と記されている。新羅から来て香春山で銅山開発した 渡来の人々(つまり秦氏)が祀り崇めた女神だと。 実はこの姫、いくつもの神名で語られている。 『古事記』の応神天皇記も、「天之日矛の妻」は、 「新羅から来て難波の比売許曽社に坐す阿加流比命」 と。ただし、来たのではない。香春神社の由緒にも 「崇神天皇の御代に御帰国…」とあるのだから、 アカル姫は海を越えて嫁ぎ、里帰りしたのだろう。 史料も、「帰ってきた姫」だったと伝えている。 「紀」垂仁天皇記は「都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト) が追ってきた童女」は「難波の比賣許曽神社、豊前国 の比賣許曽神社神となった」と。※「アカル姫の御嶽」 いっぽう、天之日矛の亦名は都怒我阿羅斯等の とも言われるが、語り部はそのアカル姫の神像を、 沖縄久高島の御嶽・アカララキで視ると言っていた。 「アマミキヨは角のある人」という伝承に照らせば、 姫は都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)から逃げて、 南下(帰国)した…という可能性は、大いにある ![]() 「香春」神社(地図)は、金辺川の「河原」の意味 というが、川は西から北へ流れて遠賀川に合流する。 河口は芦屋町で、その先は響灘、そして対馬海峡を 渡れば、朝鮮半島の東部にあった新羅に辿り着く。 倭人と呼ばれた海人族は、大陸と日本列島の間を 軽々と往還しただろうと、境内で夕陽を見ていた ![]() 「古代、息長や秦氏は沖縄にも来たと思いますか?」 私が語り部に聞いてみたのは、数日前のことだ。 古代といっても、宇佐神宮のある豊前から薩摩へ、 熊襲の教化のために、大和朝廷が5千人もの秦氏を 移住させたという、例えば8世紀初めをイメージした。 それは、まさに香春神社が創祀された頃のこと… ![]() 語り部は言った。 「もちろん来ていると思います。本島の辺戸岬にある 宇佐浜は、宇佐から渡来した秦氏の痕跡だろうと…」 それから数分、秦氏の話は途切れることなく続いた。
by utoutou
| 2023-11-03 03:54
| 天孫氏
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Comments(1)
> 匿名さん
こんにちは。「正解」は卒業式に歌う合唱曲の定番になりつつあるとか。いま「18祭」をYouTubeで久々に見ました。伝説の1000人合唱、よいですね。
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![]() by utoutou
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