人気ブログランキング | 話題のタグを見る

天孫氏は火の一族〈132〉秦氏の来た道

秦氏についての語り部の話を、電話口で聞いていた。
早い口調なのは神がかっているとき…と思っている。
イメージ(神託の映像・音声)を言葉に変換している。
相槌を打つのが精一杯で、メモする手も追いつかない。

語り部の話は、次のような内容だった。

香春に来た秦氏の人々は、紀元前にウルの都から
 絹の道を通って来た。星信仰や月信仰を持っていたが、
 長い道のりのなか、多くの民と出会い信仰は習合した。

天山山脈に近い弓月国で、後に倭の古代豪族となる
息長氏と出会った。八咫烏とも呼ばれる古族だった。

ある一派は、インドに入ると
仏教と出会い、牛頭天王(スサノオ)の信仰を知った。
弁財天が頭に蛇を乗せているのは、習合した信仰の形。

中国では星宿(せいしゅく)…星読みの人々と出会い、
星辰の神を崇めた。元々の星と月の信仰がより高まり、
スサノオとツキヨミを、双子の神のように見ていた。

中国で暦学を深め、朝鮮半島(新羅)で占星を極めた。
「八幡」はスサノオの信仰から来ているが、八は神聖数
で、八岐大蛇、八咫烏、御巫(みかんなぎ)八神、
八千矛、八百万神など、天皇家と八の関係は数多ある。

ただ、時代は下り、天照大神が伊勢神宮に遷祀した頃、
スサノオの八幡信仰を隠そうという動きが起こった。

日本書紀が完成した720(養老4)年は激動の年だった。
南薩摩の隼人が大和朝廷軍に抗戦したのも同じ時期で、
宇佐からは朝廷軍ではなくとも多くの秦氏が移住した。

当時、沖縄諸島へも、宇佐から渡ってきた人々がいる。
到達した場所は、本島の宇佐浜、読谷村の宇座、そして
 本島南部・豊見城の数珠森、糸満の与座などだった。

沖縄諸島に八幡信仰が根づくのはさらに古代からだが、
八幡神とは応神天皇の御霊でなく、大陸由来のスサノオ。

☆☆

 先日、「元々の八幡神とは何か?」と語り部は問われ、
「スサノオ」と答えたというが、その問答に至るまでも
 長年にわたって断片的な託宣は降りていたのだろう。

話を聞きながら、「では、元々の八幡姫とは何か?」
という課題のようなものが、私の頭で生まれた気が…。

姫に関する語り部の話は、次回につづく。


沖縄本島・宇堅ビーチ(うるま市宇堅)から見える
ウサチアガリユー(東に浮かぶ7つ島)を、昔の
ウチナンチューは北斗七星に例えたが、語り部は、
「古代海人八氏族の島々」「八岐大蛇」とも呼ぶ。
 皇室の祖先を加え、八氏族が7つ島にいたはずだと。
天孫氏は火の一族〈132〉秦氏の来た道_a0300530_10064559.jpg





by utoutou | 2023-11-05 21:07 | 天孫氏 | Trackback | Comments(2)
Commented at 2023-11-07 01:20
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2023-11-09 15:51
> taso7さん
返信が遅くなりました。高屋神社のサイトを拝見しました。彦火火出見命とか鷹とか熊襲とか…興味深いワードが散らばっていて、詳しい縁起を深く知りたくなりますね。海沿いですから、当然、昔から海洋性の強い人が住んだ地域なのでしょうね。秦氏にご関係の方とも繋がりたいですね、いつか🙇‍♀️ありがとうございました😊
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 天孫氏は火の一族〈133〉中世... 天孫氏は火の一族〈131〉帰っ... >>