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天孫氏は火の一族〈138〉天久宮の古拝殿

伊勢から那覇へ飛んだ。別用で行ったのだったが、
やはり神社仏閣御嶽巡りもと天久宮(那覇市泊)へ。
久々の参拝。ブログ「天久宮の天女は弁財天」や、
天久宮はアマミキヨ宮」を書いたのは8年前のこと。

ここ天久にいたという「中世の玉依姫」の話が再び
浮上して「鴨氏の姫か」を書いたのは、ごく最近。
自ずと天久宮へ足が向いた。知りたいことはひとつ。
なぜここに古の鴨氏に所縁の姫がいたとなるのか?
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以前からちょっと気にかかる場所があった。
地下一階にある↓泊ユイアゲ御嶽…ではなく
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御嶽のすぐ近くの三日月ガーにもお参りしたが、
見たいのは、さらに奥。天久宮境内? のあの風景…
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「行き止まり」地点から身を乗り出して確認する。
記憶通り墓碑に「明姓御祖之墓」と刻まれている。
左右の石碑に見える家紋は同じで「明氏」のもの
らしい。亀甲墓ではなくヤマトで一般的な縦型墓
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いつも清掃は行き届いており無縁墓とは思えない。
目下の噂の「中世の玉依姫」と関連はあるのか?
上の写真をトリミングして拡大。珍しい家紋だ
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ところで、
天久宮から道を上がると、すぐに聖現寺がある。
通称・天久の寺、天久宮の別当寺だった寺院だ。
リンクした資料から、目からウロコの情報を得た。

大戦で消失したこの聖現寺は、戦後に再興された。
戦前まで、現在地より50〜100m南に位置しており、
どの時代にも、天久宮は寺に東接していたという
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19世紀に来沖したイギリスの海軍将校で作家
であるバジル・ホールが滞在して描いた外国人
宿泊場所を兼ねる聖現寺。小さい建物が天久宮か
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今回も、天久宮の境内に隣接する県立泊高校の
グラウンドを覗く。ちょうど始業ベルが鳴った。

戦前まで、校舎の向こう(南)の正門付近、つまり
王府時代にも貿易港だった泊港により近い場所に、
聖現寺と天久宮が、並んで建っていたことになる
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駆け足で参った天久(泊)。語り部には後に話して、
天久宮の旧地は「フルヘーデン」と呼ばれたと知る。
「古拝殿」のウチナーグチ読みである。

フルヘーデンはカーミヌヤー洞窟とも呼ばれた。
王府時代から明治にかけ活躍した空手家・松茂良
興作氏が、武術を習得したのがその洞窟というが、
松茂良氏は雍氏・目取真家の末裔となるようだ。
第一尚氏・尚徳王の三男・屋比久大屋子を祖とする。

いっぽう、天久宮の墓地で見た古墓の主である
明氏は、屋比久大屋子の末裔・亀谷家という。
(※比嘉朝進・著『士族門中家譜』に拠る)
尚徳王の末裔は、天久に深く根を下ろしていた。

それだけではない尚徳王・弟の末裔も…つづく







by utoutou | 2023-11-25 17:31 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)
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