人気ブログランキング | 話題のタグを見る

琉球玉依姫〈1〉冬至のレイライン

 冬至の日、語り部と冬至のレイラインの話をした。
神の島・久高島に昇る冬至の朝日が一直線に届く
のは浦添グスク。城主・英祖王(1229〜99年)
の陵墓(浦添ようどれ)の庭へと進む門…
ナーカ御門(うじょう)に冬至正月の光が注ぐ
琉球玉依姫〈1〉冬至のレイライン_a0300530_03301111.jpg








上の写真は今年2023年2月に浦添城を訪れた際、
「うらそえ てだこウォーク」イベント参加者に説明
を終えたガイドさんにお願いして撮影したもの
琉球玉依姫〈1〉冬至のレイライン_a0300530_03325882.jpg








冬至の陽光が射すよう設計されたナーカ御門。
この先の浦添城東端には琉球国初代王・舜天に因む
巨岩・ワカリジー(スントゥングスク) がある。
さらに東(奥)へレイラインを辿ると久高島に至る
琉球玉依姫〈1〉冬至のレイライン_a0300530_03304131.jpg










さて↓こちらは、
10年前の夏、ブログ開始3回目の記事にも借用
した安里進氏『琉球の王権とグスク』からの地図。
冬至のレイラインはこの角度で注ぐと言われるが…
琉球玉依姫〈1〉冬至のレイライン_a0300530_15491916.png





そもそも誰が、いや、いつの時代の人々が
レイラインを描いたのか。すると語り部は言った。

「浦添城が初めてではないと思います。英祖王の
父・恵祖世主が築いた伊祖城(浦添市伊祖)も
 冬至のレイラインのベルト内に位置しています。
恵祖世主は天孫氏(アマミキヨ)の末裔と言われ
ますが、古代天孫氏王朝に繋がる太陽神を崇めた
一族が、浦添、首里、銘刈、天久あたりの一帯を、
東(あがり)から昇る太陽神を、西(入り)から
  崇められる地として、グスクを築いたと思います」

話を聞きながら、
そろそろ機は熟したかもしれない…と思う。
というのも、語り部からその神名だけ聞いていた
「中世の玉依姫」の在所は「太陽の道」とも言える
 久高島と西海岸を繋ぐベルト地帯の内側にあった。

地図上に↓赤丸を付けたのは、その那覇市天久。
現在デイケアセンター あめくの杜がある北西の崖
 上に中世の玉依姫と呼ばれたノロの墓があるという。
琉球玉依姫〈1〉冬至のレイライン_a0300530_15420259.png






先ごろ、私が京都の賀茂神社に賀茂氏の玉依姫
 を参拝すると、語り部はこんなことを言った。

「天久の玉依姫伝説を遡れば、賀茂の玉依姫に、
またさらに遡れば、神武天皇の母である玉依姫に
 繋がる神魂の姫ということが、分かるはずです。
 あの資料を、じっくりと紐解いてみてください」

いま私の手元にある『アミク村の歴史と民俗』。
A4コピー用紙100枚ほどを黒い紐で閉じてある。
天久の古老がしたためた、古伝研究の記録である。

賀茂・秦氏の玉依姫は、丹塗り矢(太陽光)の
の生誕伝説を持つが、琉球の玉依姫ももしや…?

陰極まって陽、冬至が明け若太陽が誕生した新年。
そして満月を迎えるこの佳き日に最終章を始める。




by utoutou | 2023-12-27 15:22 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 琉球玉依姫〈2〉天久台地 天孫氏は火の一族〈141〉夏至... >>