冬至の日、語り部と冬至のレイラインの話をした。 神の島・久高島に昇る冬至の朝日が一直線に届く のは浦添グスク。城主・英祖王(1229〜99年) の陵墓(浦添ようどれ)の庭へと進む門… ナーカ御門(うじょう)に冬至正月の光が注ぐ ![]() 上の写真は今年2023年2月に浦添城を訪れた際、 「うらそえ てだこウォーク」イベント参加者に説明 を終えたガイドさんにお願いして撮影したもの ![]() 冬至の陽光が射すよう設計されたナーカ御門。 この先の浦添城東端には琉球国初代王・舜天に因む 巨岩・ワカリジー(スントゥングスク) がある。 さらに東(奥)へレイラインを辿ると久高島に至る ![]() さて↓こちらは、 10年前の夏、ブログ開始3回目の記事にも借用 した安里進氏『琉球の王権とグスク』からの地図。 冬至のレイラインはこの角度で注ぐと言われるが… ![]() そもそも誰が、いや、いつの時代の人々が レイラインを描いたのか。すると語り部は言った。 「浦添城が初めてではないと思います。英祖王の 父・恵祖世主が築いた伊祖城(浦添市伊祖)も 冬至のレイラインのベルト内に位置しています。 恵祖世主は天孫氏(アマミキヨ)の末裔と言われ ますが、古代天孫氏王朝に繋がる太陽神を崇めた 一族が、浦添、首里、銘刈、天久あたりの一帯を、 東(あがり)から昇る太陽神を、西(入り)から 崇められる地として、グスクを築いたと思います」 話を聞きながら、 そろそろ機は熟したかもしれない…と思う。 というのも、語り部からその神名だけ聞いていた 「中世の玉依姫」の在所は「太陽の道」とも言える 久高島と西海岸を繋ぐベルト地帯の内側にあった。 地図上に↓赤丸を付けたのは、その那覇市天久。 現在デイケアセンター あめくの杜がある北西の崖 上に中世の玉依姫と呼ばれたノロの墓があるという。 ![]() 先ごろ、私が京都の賀茂神社に賀茂氏の玉依姫 を参拝すると、語り部はこんなことを言った。 「天久の玉依姫伝説を遡れば、賀茂の玉依姫に、 またさらに遡れば、神武天皇の母である玉依姫に 繋がる神魂の姫ということが、分かるはずです。 あの資料を、じっくりと紐解いてみてください」
by utoutou
| 2023-12-27 15:22
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