『アミク村の歴史と民俗(抄録)〜 位立山戸(したてやまとぅ)の手記』 は天久村の古老が30年にわたる調査と研究に よって纏めた、天久の祭祀・御嶽・拝所・墓地 の記録で、そのまま村の姿の変遷も分かる大著だが、 位立山戸さんは2016年に88歳で逝去されたようだ。 この資料を抱えてすぐさま天久の御嶽を巡りたい ところだが、そうもいかないのでまずは位置確認。 その立地を俯瞰した地図はないかと探したところ、 Youtubeで那覇港プロモーション動画を見つけた。 こちら↓那覇港の全体地図。那覇港は左(南)から 那覇ふ頭、泊ふ頭、新港ふ頭、浦添ふ頭が並ぶ。 天久は、新港ふ頭(那覇市港町)に近い地域だ。 地図右上、海に大きく突き出て築造された新港ふ頭 地区の下(東)に緑色に横たわる丘陵が天久台地。 海側は、新都心に埋もれるように残る古来の海岸線。 安謝川とともに、天久地域は今次大戦の激戦地に。 戦後は米軍に強制接収され、将校の住宅地になった ![]() 那覇港プロモーション動画からスクショして拝借。 国際コンテナターミナルから見る天久台地(左奥) ![]() 天久と言えば、琉球八社の天久宮を連想するが、 位立さんの記録は天久台地全体を網羅している。 Googleマップ天久台地に赤丸を付けた。4つの うち、いちばん下(南)が天久宮。次が天久宮の 前宮・フルヘーリンの洞窟。上に目を転じ3つ目が 天久遺跡、4つ目がその火の神(天久遺跡の山上)。 赤丸の間の建物が大浜第一病院(旧東急ホテル) ![]() さて、 私の手元にある『アミク村の歴史と民俗』の コピーには第1章がない。家の秘伝を記したのか。 第2章は「天久7嶽と新しい村の3御嶽」で始まる。 その筆頭が、天久之嶽(グスク、遺跡)である。 (以下抜粋) 〜天久グスク直下に按司お墓という洞窟がある。 ここは縄文後期(3500年前頃)の貝塚人たちが 住居として利用していたが、ここから頂上に登り 焼畑農耕を始めるようになると、洞窟は風葬墓地 となった。やがて、貝塚人の一部は天久原一帯の サンゴ礁台地から、多和田川(銘苅川)一帯に 稲作の水利を求めて移住。数カ所の村を作ると 同時に祖霊神を祀る「天久7嶽」を作った 。〜 ところで、 天久之嶽の麓にある風葬地は、苧山とも呼ばれる。 風葬地に苧麻を植え、その糸で機織りをしたという 伝説の神女の名は、大主乙樽(おおしゅおとだる)。 没後の諱は、「中(なか)玉依姫」といったそうだ。 中玉依姫は、琉球第二王朝第三代・尚真王時代の 天久ノロ。アマミキヨ末裔の娘だと綴られている。 つづく…。 '23年も多くのご訪問✨心より感謝申し上げます。 皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。
by utoutou
| 2023-12-31 17:35
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