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琉球玉依姫〈3〉アマミキヨの娘

新年あけましておめでとうございます。
本年もご愛顧のほどよろしくお願い致します。

さて、那覇市天久の古伝承についての続き…。
大主乙樽(おおしゅうとぅだる)、諱は中玉依姫。
『天久村の歴史と民俗』には随所にその名が登場する。

第4章の目次に、次のタイトルがある。
○大主乙樽の誕生(シリンカー18代3女ノロ神)

著者・位立山戸さん(ペンネーム)によれば、
諱に「中玉依姫」と中が付くのは、神武天皇の母
 という玉依姫が沖縄出身との伝承に依るとのこと。

本文では、次のように綴られる。
〜 前述した海宮(伊平屋島)の玉依姫に続いて、
第2番目の玉依姫が天久マキョ(村)で誕生する
(屋号・尻武川家18代3女)。この人は普通の人では
なく、(第二尚氏王朝)3代・尚真王時代の祭政一致
の政策ので作り出されたノロ神で、天久ノロ殿内
の司祭者・天久ノロ、神名を「大主乙樽」、諱を
「中玉依姫」と呼ぶ。ノロは自分の名を人には絶対
に明かさないという鉄則があった。どうしてその名
が人々の口に上るようになったかよくわからない 〜

わからないとはいえ、実家の屋号は判明している。
天久村の旧家・尻武川家(シリンカー )という。

シリンカー家については、過去ログ
天久宮はアマミキヨ宮」で次のように紹介した。

〜 沖縄中の神事に関する口伝を集めた
『琉球祖先宝鑑』を開くと阿摩弥姑(アマミキヨ)
志仁礼久(シロミキヨ)三世として、天久大神
の神名が載っている。(中略)〜天久大神、
玉骨は真和志天久村の白浜の前の高岩の穴に
  埋葬せらる。居所は同村の志利川と云ふ家也。〜

尻武川と志利川。表記は異なるが、シリンカー家。
アマミキヨ三世(天久大神)の18代として、
乙樽こと中玉依姫は生まれた。この古伝承から、
「アマミキヨとは誰か」という長年の謎を紐解く
突破口になるかもしれない…と新年に胸が踊った。


写真は、
昨年4月に首里城の西のアザナ(物見台)から見た
天久方面。高層ビルは、おもろまちツインタワー。
その先に位置する西海岸の天久は、首里から約4㎞
琉球玉依姫〈3〉アマミキヨの娘_a0300530_04004248.jpg







こちら、同じく首里城の西のアザナからの夕景
たびらい(沖縄の絶景夕日スポット)から拝借)。
海上保安庁HP「首里城から沈む夕陽が見られる頃
によれば、ちょうどあの頃か。次回の旅で確認したい
琉球玉依姫〈3〉アマミキヨの娘_a0300530_04005750.png






首里城から見る夕日で思い出すことがある。
琉球王は首里城から西(いり)の太陽を拝したか?
と、かつてブログに書いたところ、尚氏の末裔
という方からお叱りのコメントを頂戴した。曰く、
「太陽王である琉球の王様が西を拝むことはない」と。

しかし、過去ログ「太陽の穴」に書いた通り、
太陽は、東にある太陽の穴(てぃだが穴)から昇る
が、それは西の「てぃだが穴」に落ちたからなのだ
と、古代の琉球人たちは信じていた。
西に沈んだ太陽は、夜に地中を通り、東から昇る。
アマミキヨの娘は「太陽の穴」を守護していたのだ。














by utoutou | 2024-01-05 13:27 | 最終章 | Trackback | Comments(1)
Commented by utoutou at 2024-01-06 06:47
> 匿名さん
いつもコメントをありがとうございます。
太陽について、仰る通りですね。
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