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琉球玉依姫〈4〉天久ノロになる

『天久の歴史と民俗』には、古老の話として、
 大主乙樽がいた時代について考察したくだりがある。

〜(大主乙樽は)今(2003年)から18代前に遡る
 人だという。その当時の人生を1代30年とすると、
540年前(1463年)に出生したことになる。その年
は(※第一尚氏王統最後の)尚徳王(3年)鬼界島
征伐の翌年にあたる。その頃に、天久宮が古拝殿
(フルヘーリン )の洞窟から聖現寺の地に移転された
 との記録もある。〜

 聖現寺(那覇市上之屋)。王府時代は泊港に上陸した
 外国人の宿泊所で、天久宮に隣接。山号は天久山
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天久で生まれた大主乙樽は、屋号シリンカー家
(尻武川家)18代の3女だった。上記説明のなかで、
「その当時の人生を1代30年とする」のくだり
が分かりにくいが、「人生」を「王の在位期間」
に置き換えて数える慣習が、沖縄にはあるという。
 それに倣って家系も当主1代30年と数えるわけだ。

ということで、尚円を初代王とする第二尚氏王統
が成立した1470年、天久の宗家の娘・大主乙樽
は9歳。7年後、尚円王が逝去(1476年)した
当時、大主乙樽は16歳だったということになる。
 17歳となった翌1477年、尚円王の弟・尚宣威に  
次いで、世子・尚真が13歳という若さで即位した。

初代の聞得大君・月清に任命されたのは、尚真王
の妹・音智殿茂金(をとちとのもいかね)。生没年
 は不詳だが、10歳前後に聞得大君になっていたか。

ちなみに、大主乙樽の生没年も不明だが、9代
続いた天久ノロの初代だったようで、天久村の
神壇に天久ノロ神の位牌があり、祀られてきた。

〜(第3代)尚真王の祭政一致の頃が、天久ノロ
(大主乙樽)の活躍期に該当、また国家の黄金時代
の中で、国に、聞得大君に尽くしてきた。(中略)
大主乙樽は、坂中樋川(ひらなかひーじゃー)に
ある苧山(うーやま)の洞窟で機織をしたとの口碑
もある。その織物は首里の高級士族が利用した〜

ノロとして祭祀の余暇に首里氏族の礼装を機織した
  糸は、山で採れる苧麻(ちょま。方言で、う、ぶー)。
苧(ぶー)は自生か植生だったのか…が気になる。
また、どの時代から機織は始まっていたのだろうか。

⭐︎

苧山(うーやま)の洞窟があった坂中樋川の
位置を調べ、天久の地図に緑丸の○印を加えた。

 天久の北部には、二ヶ所の樋川(水留)があった。
 上が崎樋川で、下が坂中樋川(天久グスクの麓)。
この苧山一帯には、古代人の風葬墓もあるという
琉球玉依姫〈4〉天久ノロになる_a0300530_16383918.png




by utoutou | 2024-01-08 12:19 | 最終章 | Trackback | Comments(5)
Commented at 2024-06-01 09:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2024-06-01 09:28
> 紅さん
こんにちは。古拝殿へは一緒に参りました。
Commented at 2024-06-01 10:00 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2024-06-01 21:08 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2024-06-02 12:58
> 紅さん
カーミヌヤーとも呼ばれていたそうですね。雨の後で、崖の上に登れなかったのが残念でした。
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