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琉球玉依姫〈8〉海人族の都

那覇市天久(あめく)。長い歴史のなかで、
その位置は遷移しているが、伝説のノロがいた村。
尚真王時代の若きノロ・大主乙樽(諱は中玉依姫)
の実家は、有名な鍛冶職(カニマン)だったという。

「地掟金満(じーち・かにまん)」、または屋号
通りに「尻礼武川金満(しりんかー・かにまん)」
と呼ばれた。地掟(じーち)とは、いわば村の長だ。

中央の竜の落とし子のような緑地が、天久台地
で、赤いマークは崎樋川(さちひーじゃー)御嶽。
古来の海岸に沿った崖に3500年前の崎樋川貝塚
ある。そのすぐ南に大主乙樽のお墓があるという。
写真左の那覇新港や港町は今次の大戦後の埋立地だ。
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海から天久台地を遠望する写真を見つけたので拝借。
大浜第一病院(写真中央の白いビル)さまのfacebook
より。大主乙樽のお墓はその近くの北西(左)にある。
父・尻礼武川金満のお墓は台地の南端近く(右)に。
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尻礼武川(しりんかー)家は、民謡「金細工節」
に歌われるほどの富豪で、その屋敷と畑を併せる
と2000坪あったといわれ、鳩目銭を縄で束ねて
俵に詰め、馬で運んで貸したという逸話がある。

『アミク村の歴史と民俗』は、民謡「金細工節」
元歌を記しており、まさにその俵銭が登場する。

〜いやぁや こまおて タバコ吹ちおり
わみや 尻礼武川(しりんかー)んぢ 俵銭
借りてくう 〜
(訳 : さあ君はここで煙草でも吸っていなさい。
私はシリンカーで、俵一杯の金を借りてこよう)


富を築いた鍛冶場は、崎樋川の崖に位置する
洞窟の中にあったという。鍛冶場跡からは鉄滓や
鉄工具が出たと『アミク村の歴史と民俗』は記す。

尻礼武川金満(カニマン)は、時代を遡るといつ
頃から、天久で鍛治を生業にしていたのだろうか?
一説に、おそらくこの一族は、3、4世紀に渡来、
7、8世紀になると、稲作の水利を求めて多和田川
(銘苅川)の北東(現・副都心の銘苅地区)に移り、
 多和田マキョ(血族集団の村)を作ったと伝わる。

渡来した産鉄族というと、やはり語り部が視る
ように秦氏や賀茂氏を連想する。崎樋川から見える
海は外洋船の航路で、「倭口(ヤマトグチ)」と
呼ばれたという。「倭」の意味は大和か、倭人か…。
 

時代は降るが琉球国絵図(天保年間)。中央左の緑の
村(真和志村)の南西(左下)に倭口が見えたという。
連なっている3つの島(礁湖)のあたりらしい
琉球玉依姫〈8〉海人族の都_a0300530_14203178.jpg







90度回転して、北の方向を上にしてみると、
左上に3つの島がある。方言で礁湖は「いなん」
その外側を航り、外洋船は那覇の港に入った
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礁湖(いなん)があったという海は埋め立てられ
てしまったが、うち2ヶ所は赤丸を付けたあたり。
残る1ヶ所について伝承はないが、いま人気の夕日の
見えるポイントのあたりにあったらしい。いなんは
は優良な漁場で、魚介や海藻の宝庫だったという
琉球玉依姫〈8〉海人族の都_a0300530_11023188.png






語り部は言う。
「昔からいなんの漁業権は、垣花の垣廻り屋
(カチマーヤー)が握っていたと言われています。
垣花とは本島南部玉城にあった和名垣花…古代の
 ヤマト豪族・和邇氏の末裔と思います。秦氏と賀茂氏
  しかり、天久は海人族(海神族)の都だったのです。
  天久そして那覇の港には、沖縄の歴史が沈んでいる」
つづく…




by utoutou | 2024-02-05 10:16 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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