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琉球玉依姫〈9〉邪馬台国とベリッシマ

那覇に来た。天久周辺の御嶽廻りをして本日那覇
を発つが、旧正月だった昨日は、那覇港に着いた

日本発着の外国船として過去最大のクルーズ船を
見るのに絶好の試験運行バスが、おもろまち駅前
 から日に7便も出ているのを知って活用(240円)。

実は特にクルーズ船に興味があるわけではない。
第二クルーズ・ターミナルを歩くのが目的だ。

ちょうどこの海域、つまり崎樋川の沖合には、
古来、倭口(やまとぐち)と呼ばれる外洋船の
航路があったとの伝承が天久(アミク)にある。

古老が書き残した『アミク村の歴史と民俗』
には、4〜5世紀のこととして、邪馬台国の卑弥呼
の末裔らしき一族の渡来を思わせる記述がある。

〜 九州で栄えた邪馬台国と、九州で新たに設立
された王朝の争いで邪馬台国は敗れ、国人は北
は近畿へ、南は九州・大島経由、沖縄へと逃れて
くる。これが新アマミクと呼ばれ、中国・魏の国
と交易して稲作文化を持ってきた人達です。
このアマミクたちが天久海岸台地から、稲作の水利
を求めて、現在の銘苅、多和田川の岸の中腹に進出
して、マキョ(村)を作って稲作農耕を行います。

島に夜明けが来て、7煙い(家)の人々が海岸から
後方の台地へ登って農耕、後で広大な大地を求めて
東方の土地へ行き、ここで村を作り…(後略)〜

戦いに敗れて逃れてきた邪馬台国の人がアマミク
である…という伝承が、なぜ隠されてきたのか。
それを探るため、語り部と御嶽を廻ったのだった。
つづく…


アマミク(※アマミキヨ)の渡来伝承のある地に、
2024年の旧正月、世界最大客船ベリッシマは着港した。
17:09 乗客を乗せたバスが次々那覇へと出発した後、
接写しようとするも、離れなければ撮れないほど巨大
琉球玉依姫〈9〉邪馬台国とベリッシマ_a0300530_10232995.jpg





古代、天久台地の主要地だった埼樋川の海岸から
数百m、第二クルーズバースで停泊するベリッシマ。
台湾から沖縄の離島を廻り、本島に着いたようだ
琉球玉依姫〈9〉邪馬台国とベリッシマ_a0300530_10330315.jpg




17:30 おもろまち駅に向かう帰りのバスの停留所近く
から振り返ると、ベリッシマはまるでビルのように見えた
琉球玉依姫〈9〉邪馬台国とベリッシマ_a0300530_10333905.jpg








by utoutou | 2024-02-11 16:28 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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