那覇滞在中は、あいにくの雨天続きで、天久 の森の御嶽廻りは予定通りにはいかなかった。 天久台地は斜面が多く、雨の日は危険だという。 3日目の晴れ間を見て、語り部が案内して くれたのは、まず久場森(くばむい)の御嶽。 県道58号を北に向かい、PL教会の角を左折する と奥のマンション街の大駐車場の中に佇んでいる ![]() 立派な蒲葵(くば)だ。クバは龍蛇の例えだと 言われるが、龍宮にちなむ伝説がここにもある。 天久の村は、本島南部の玉城から来た姉弟が 子を生んでから次第に広がった…というものだ。 そのため、御嶽は玉城の方向を背にしており、 姉弟の故郷である玉城を拝むようになっていると。 玉城のどこなのだろう? 聞くと語り部は言った。 「ミエおばあ(玉城王の末裔・仲加家の神女)が 言った伝説のある新原(みーばる)だと思います」 玉城の「龍宮姉弟伝説」は↓以前ブログに書いた。 〜昔、(新原の)うさち三穂田に男の子と女の子 の兄妹がいた。親は3月3日に子どもたちを残して 船で海(龍宮)に出て行った。どこへ行ったか は分からないが、玉城はこの姉弟から始まった 〜 以来、3月3日には、晴れていても雨が降っても、 海に向かって御願する風習ができたのだという。 なぜ子どもを残して行ったのかは、分からない。 ただ、この久場森の御嶽で思う。海人族は、故郷 を捨てずに移住先とのネットワークを築いたという。 子どもだけを残したのはそのためなのではないか? 御嶽の前で、語り部は言った。 「うみき・うみない(ヒコとヒメ)の伝えだけでなく、 天久には3月15日の祭りを盛大に行う風習がある のですが、これも玉城の3月3日と同様に行います。 浜下りをして、苧山(うーやま)の掃除をして、 姉弟婚に始まった一族の祖先神を崇める祭りです」 ふと御嶽の前で振り向くと、マンション群の先 に御嶽の森が見える。右端は大浜第一病院のビル。 森へは、左端のマンション横の小道を入るという ![]() ![]() 左奥(側面)には天久神女と銘記された中玉依姫 の位牌を祀る。姉弟婚をしたアマミキヨの末裔、 中玉依姫こと大主乙樽がひっそりと隠れるように ![]()
by utoutou
| 2024-02-26 19:24
| 最終章
|
Trackback
|
Comments(0)
|
![]() by utoutou
カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||