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琉球玉依姫〈11〉姉弟婚の伝説

那覇滞在中は、あいにくの雨天続きで、天久
の森の御嶽廻りは予定通りにはいかなかった。
  天久台地は斜面が多く、雨の日は危険だという。

3日目の晴れ間を見て、語り部が案内して
 くれたのは、まず久場森(くばむい)の御嶽。
県道58号を北に向かい、PL教会の角を左折する
と奥のマンション街の大駐車場の中に佇んでいる
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立派な蒲葵(くば)だ。クバは龍蛇の例えだと
言われるが、龍宮にちなむ伝説がここにもある。
天久の村は、本島南部の玉城から来た姉弟が
子を生んでから次第に広がった…というものだ。

そのため、御嶽は玉城の方向を背にしており、
姉弟の故郷である玉城を拝むようになっていると。

玉城のどこなのだろう? 聞くと語り部は言った。
「ミエおばあ(玉城王の末裔・仲加家の神女)が
言った伝説のある新原(みーばる)だと思います」

玉城の「龍宮姉弟伝説」は↓以前ブログに書いた。
〜昔、(新原の)うさち三穂田に男の子と女の子
の兄妹がいた。親は3月3日に子どもたちを残して
船で海(龍宮)に出て行った。どこへ行ったか
分からないが、玉城はこの姉弟から始まった 〜
 以来、3月3日には、晴れていても雨が降っても、
海に向かって御願する風習ができたのだという。

 なぜ子どもを残して行ったのかは、分からない。
ただ、この久場森の御嶽で思う。海人族は、故郷
  を捨てずに移住先とのネットワークを築いたという。
子どもだけを残したのはそのためなのではないか?

御嶽の前で、語り部は言った。
「うみき・うみない(ヒコとヒメ)の伝えだけでなく、
天久には3月15日の祭りを盛大に行う風習がある
のですが、これも玉城の3月3日と同様に行います。
 浜下りをして、苧山(うーやま)の掃除をして、
姉弟婚に始まった一族の祖先神を崇める祭りです」


ふと御嶽の前で振り向くと、マンション群の先
 に御嶽の森が見える。右端は大浜第一病院のビル。
森へは、左端のマンション横の小道を入るという
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 2ヶ所目に訪れたのは御嶽ではなく「天久村台」
と呼ばれる天久を守護する祖先神の御願所だった。
右が宗家の祖先神を祀り、手前は川泉への拝所、
左には、宗家の火の神を祀っている。そして…
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左奥(側面)には天久神女と銘記された中玉依姫
の位牌を祀る。姉弟婚をしたアマミキヨの末裔、
中玉依姫こと大主乙樽がひっそりと隠れるように
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by utoutou | 2024-02-26 19:24 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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