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琉球玉依姫〈14〉アマミキヨ二世、現る

天久台地の西、東シナ海に向かって崖となって
いるその裾部に崎樋川(さちひーじゃー)はある。
  崖上の拝所(うがんじゅ)で人々は崎樋川拝みをした。
  現在は海の景色を見ることはできないとのことで、
  大浜第一病院3階のカフェから、崎樋川方向を見る。

1908年の薩摩侵攻で捕虜となって江戸へ向かう
尚寧王を見送る神女たちのなかに、妃・阿応理屋恵
 のお姿もあったという伝承があると、語り部は言う。
旧暦9月9日の崎樋川拝みはいまでも続いているとも
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 霊験あらたかな御嶽は、崎樋川の近くにもう1ヶ所。
『琉球国由来記』に載る潮花司(すーぱなちかさ)だ。
神名は、ヨリアゲ森ノ御イベ。花とは「波の花」、
つまり海水を意味しており、回魚が寄り付くこと
を願った御嶽だと伝わる。また、首里城内の雨乞い
神事にも、各所でこの御嶽の海水を捧げたという。
見逃しそうな場所だが、現代も祭祀は途絶えない
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ところで、最近、語り部は天久の御嶽周辺を
歩いていて、アマミキヨ二世の姿を視たという。

「昔、ミントングスク(本島南部・玉城)でも
 視たことのある男の方でした。すると(神が)
こう言われるのです。その男は誰なのか? と…」

語り部のひとり語りは続いた。
「私が天美人加那志(てんびじんがなし)ですか?
  と聞くと、違う呼び方はあるか?と言われまして。 
そこでアマ(天)ミ(美)チュ(人)だと分かった」

『琉球祖先宝鑑』(昭和8年、琉球史料研究会)
によれば、天美人加那志とはアマミキヨ二世。

そしてまた、天美人加那志とは、琉球稲作の祖
として歴史に残る「アマスのアマミチュ」という
 男神だと、語り部の霊視から紐解くことができる。

ちなみに一対となる女神の名は巣出美人加那志。
「すでる、すでぃる」は孵化する、生むという
意味で、蛇の生態に例えて女性を指す古語である。

その一対神については、以前『琉球祖先宝鑑』
から引用したことがある。ブログ天女神加那志
(てんじょしんがなし)で、次のように。

〜 一世の志礼仁久と安摩美姑には、
13人の子がいた。
二世の天美人加那志と巣出美人加那志には、
10名の子がいた。
三世の天太子大神加那志と竜宮女大神加那志には、
20人の子がいた。
  以上三世は本島開発前の御世也(ママ)

四世の天帝子加那志と天女神加那志には、
5人の子がいた。
一万七千八百二年(ママ) 〜


そして、ようやく、ある神名を新たに見つけた。

〜 二世の天美人加那志と巣出美人加那志の
御子、左の如し〜 と示される御子の3番目に。

〜 天久大神 
玉骨は真和志村の白浜の前の高岩の穴に埋葬
 せられる。居所は同村の志利川という家也。〜

そうであった。志利川家(シリンカー 家)とは、
玉依姫こと大主乙樽へと代々続いた生家だった。
つづく…。

まだ埋め立てられていない東シナ海を見たいと、
↓ 浦添バルコシティ屋上の展望台に行ってみた
琉球玉依姫〈14〉アマミキヨ二世、現る_a0300530_12120376.jpg

by utoutou | 2024-03-29 19:18 | 最終章 | Trackback | Comments(4)
Commented at 2024-03-31 20:36 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2024-04-01 08:33
> 匿名さん
こんにちは。見つけたというより、遅まきながら気づいたという感じです。天久按司は大主乙樽の先祖だというくだりを以前ご紹介しましたが、さらに先祖へと遡るとアマミキヨ二世の天美人加那志の御子・天久大神となり、玉骨は真和志天久村の高岩の穴に埋葬…という口碑が、『琉球祖先宝鑑』の発刊された昭和初期まで残っていたことは貴重かと。本島の東と西にアマミキヨ直系の家があったという解釈になると思います。
Commented at 2024-04-05 22:29 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2024-04-08 19:23
> 雪幸さん
こんばんは。ちらっと拝見しました。天美人加那志まで行き着きませんでしたが、面白いですね!
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