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琉球玉依姫〈16〉300年後の香炉

那覇での数日間は、おもろまち(新都心)に滞在。
朝夕このアングルから東シナ海の方を眺めていた。

通りを挟んで、大型商業施設・サンエー那覇
メインプレイス(おもろまちGoogle map)が、
その先の街区に沖縄県立博物館・美術館がある。
左の道路・那覇中環状線から東は新都心公園地区。

写真中央、はるか遠くに見える、かつて回転式の
展望レストランがあったビルは、新港近くの曙に
建っている。往古、その向こうは東シナ海だった
琉球玉依姫〈16〉300年後の香炉_a0300530_12300173.jpg








地図で見ると、このような位置関係となる。
↓青色で四角く囲んで加工したのがメインプレイス。
  住所は那覇市おもろまち1丁目(Google map)。
 その下の青丸が上の写真を撮影したホテルの位置。

実は、新都心公園はメインプレイスの北の長方形
 の部分と思いがちだが、さらに長く(赤枠の中)、
また周辺にある13公園を含む広大な地域を指す
琉球玉依姫〈16〉300年後の香炉_a0300530_15433253.png
※地図は那覇市都市みらい部「新都市公園及び周辺
13公園の官民連携事業に関する基本方針より拝借





ちなみに、前回も書いた銘苅のガジュマル公園は、
↑地図の上方に付けた青丸の所。その前で振り向き、
公園の石標を見て「あ、ここも新都心公園」と
 気づくまで、東京ドームの3.5倍(18ヘクタール)
あるという公園の広さを実感したことはなかった
琉球玉依姫〈16〉300年後の香炉_a0300530_15375563.jpg







新都心公園は2001(平成13)年に開園した。戦後
 の1950年に接収され米軍解放地(米軍住宅地区)
となっていたが、沖縄の本土返還(1972年)から
14年後の1986年に返還され、整備計画が進んだ。

実際に工事が始まったのは1995年。同時進行する
 ように新都心地区に点在した遺跡発掘調査も始まる。
  そこで明らかになったのは古代産鉄地の存在だった。
※過去ログ「銘苅は古代産鉄地だった」に地図あり

  前置きが長くなったが、本題は他でもない「香炉」。
薩摩の琉球侵攻後の国家祭祀組織の改編下、天久
の人々が「ある家」に隠した天久ノロ(大主乙樽
・中玉依姫)の香炉は、この地区の返還が決まった
  1985年、ようやく天久村の神座に戻されたという。

300年近く天久ノロの香炉を安置した「ある家」
とは、天久三宗家のひとつ、屋号・ハルガー家。
三宗家の祖先(アマミキヨ)は、貝塚時代に九州
  から逃れた邪馬台国の人々だったという伝承がある。







by utoutou | 2024-04-17 18:37 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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