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琉球玉依姫〈19〉王太后・宇喜也嘉(おぎやか)

中玉依姫こと大主乙樽が苧麻を育て機織りをした
という苧山の洞窟へ、祭祀場から南下してみたが、
崖面の雑木林(右手)には、入れそうになかった。
 距離はないらしいが道はなく、藪蚊がブンブン飛ぶ。

いっぽう『織姫は洞窟に』に書いたが、坂中樋川
(ふぃらなかひーじゃー)からも登ることはできない。

これは祭祀場へと戻るところ。左(西)が那覇新港
琉球玉依姫〈19〉王太后・宇喜也嘉(おぎやか)_a0300530_06073896.jpg








海側に沖縄セメント工業(那覇市港町)のサイロが
見える(Google map)。埋立地も建造物もなかった
時代の海を想像すると、足元は切り立った崖となる
琉球玉依姫〈19〉王太后・宇喜也嘉(おぎやか)_a0300530_09361473.jpg








洞窟は天久貝塚の頂上部分に位置するようだった。
 上の写真を撮った箇所から斜面沿いに進むと、
 貝塚地図 ↓のもっとも海側の赤丸の地点に着く。

 右3ヶ所(赤点)も貝塚。その上方に洞窟がある。
※赤印は資料のまま、洞窟と樋川(下)の青丸は加工

樋川へは洞窟からの伏流水が流れ込んでいるのか?
藪蚊の多さは、樋川周辺の湿気を物語るようだ。
琉球玉依姫〈19〉王太后・宇喜也嘉(おぎやか)_a0300530_06310224.png
※天久貝塚の頂上に位置する建物は天久台病院








ほうほうの体で那覇の街に下り、語り部に会った。
かねてから聞いていた「苧麻の細い糸で羽衣を
織るには乾燥が大敵なので」という話を思いつつ、
目の前の語り部に、改めてこう聞いてみたのだった。

「天久ノロの乙樽に(聞得大君の)羽衣を織らせた
のは、大君と尚真王の母で、王太后の宇喜也嘉
ですよね。おぎやかは、どうしてまた自ら作った
 祭祀組織の高官を酷い環境で働かせたんでしょう?」

 それはですね…と、一息ついた語り部は言った。

「大主乙樽とおぎやかは、姉妹か同族だったから
だと思います。古来、神衣を織ることは神事です
から、誰にでもそれを任せることはできないはず。
 ですが、おぎやかが秦氏・賀茂氏の血縁であれば、
 まだ幼かった聞得大君の教育も乙樽に任せられる」
つづく…。


by utoutou | 2024-05-06 20:56 | 最終章 | Trackback | Comments(2)
Commented at 2024-05-08 22:59 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2024-05-09 08:48
> nemeronさん
確かに、すごいところ…ですね。以前から何か大きな集団の力を後ろ盾にしているような気がしていましたが、仮にそれが一族だったとすると腑に落ちることはありますよね。
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