琉球で無文銭を見たと帰国報告をした明の冊封使は 郭汝霖だけではなかった。尚元王の前、尚清王代の 使者・陳侃(ちんかん)も、1534年にこう記した。 「国を通じて、ただ日本所鋳の銅銭を用いる。 薄小無文で、十枚で一文に当たり、千枚で百文に 当たる。ちょうど宋末の鵞眼銭や蜒誕銭に似ている」 (原田禹雄・訳注『陳侃使琉球録』) 陳侃と郭汝霖、16世紀に来琉した二人の冊封使は、 無文銭は「日本で鋳造された銅銭」で「宋の…銭 に似ている」と記録した。いっぽう16世紀以前、 日本で鋳造された錢貨は、模造銭と無文銭だった。 (宮城弘樹『琉球出土銭貨の研究』) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
by utoutou
| 2024-06-01 21:17
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Comments(2)
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母方が英祖の後裔家系でルーツを理解するためによく読ませていただいていますが、この記事は父方の家系も関連しているような内容で驚いています。
父の家系は黒田家の家臣から分家して博多鋳物師としてこの冷泉町で家業を営んでいました。残念ながら父の代で廃業したのですが、江戸時代は黒田家の要請もあり、偽金を作ってもいたと小さい頃から聞いておりました。記事の時代よりは進んだ時代にはなりますが、古くからお櫛田さんのそばに金属加工を生業とする地域が存在していたのですね。
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> おさるのジョージさん
こんにちは。すっかり返信が遅れました🙇♀️ 櫛田神社の遺跡あたりにご先祖がおられたのですね。由緒ある鍛冶屋さん、興味深いです。英祖王は天孫氏の末裔と言われますから琉球へ渡来したアマミキヨの主流ですね。コメントを読ませていただいただけで、お母様系とお父様系の出会いをあれこれ想像してしまいます。またよかったらいろいろ教えてくださいね。
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