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琉球玉依姫〈24〉宋のウチカビ

清明祭や旧盆・旧正月などで、先祖供養のため
に神前で燃やすウチカビ(↓写真右)の風習は、
14世紀、察度王の時代に中国から渡来した人々
が持ち込んだという。閩人とも呼ばれる、福建省
から来た技術者集団「久米三十六姓」のことだ。

いっぽう、デザインがまるでウチカビだと感じる
枝銭(模造銭を造る鋳型)は、博多遺跡群の発掘
調査報告によれば、15〜16世紀の遺物(写真左)
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無文銭の鋳型とウチカビに刻された無文銭の柄。
どちらも、中国は明の時代という点が共通する。

そう言えば、明の冊封使は琉球で無文銭を見て、
宋末の銭貨に似ていると記録している。それでは、
ウチカビの風習も宋の代からあったのだろうか?

 調べると、やはり宋にも「まるでウチカビ」な、
 墓前で燃やすという「あの世のお金」があった。

琉球玉依姫〈24〉宋のウチカビ_a0300530_06031893.png





〈冥銭〉のページの本文を引用させていただく。
〜中国では現在でも、埋葬の際にお金を添える
習慣がある。今では本物のお金は使わず、葬儀の
際にはそれ専用の紙幣を使い、墓前で燃やして
使者を送り、冥土での安寧な暮らしを祈る。
(中略)図32は紙で銭貨をかたどったものである。
下側の短冊型のものは、中央が方孔ではなく円孔
になっているが、コラム1で見た湖南省の宋墓
から出土した紙の冥銭とそっくりであり、
伝統の深さを感じる。〜 

その〈コラム1〉は「財貨流通の復元」の章に。
 〜 冥銭の中には、金属以外で作られたものも
あり、湖南省・莱陽市の宋墓からは、紙を短冊
のように切って、銭貨をかたどった冥銭が
発見されている。〜
琉球玉依姫〈24〉宋のウチカビ_a0300530_08561639.jpg



そんなわけで、無文銭とウチカビの風習は、
差し当たり宋の時代まで遡ることができそうだ。
と同時に、日本国内で出土している古代錢貨で、
もっとも多いのもまた、宋の銅銭であるという。

ちょうど、NHKの大河ドラマ『光る君へ』でも
越後編が放送中で、実在した宋の商人・朱仁聡
が登場している。平安時代の書物によれば、
一行は長徳元(995)年から長保2(1000)年
までの5年間にわたり若狭や越前に来航して、
右大臣である藤原道長と折衝していたようだ。
時代的にも、朱仁聡や周明(オリジナルの役)
は、北宋からやって来た人たちだった。

などと考えたりしていると、琉球王朝の王太后
・オギヤカの後ろ盾となった一派を探るヒント
 だったはずの「鳩目銭」からかけ離れていく…。

 そんなとき、語り部から次なるヒントが出た。
「まそ」
「まそ、ですか。まそ、まそ?」
と首を捻ったが、しばらくすると気がついた。
 先日の那覇で散歩の途中、立ち寄っていた所だ。
つづく。






by utoutou | 2024-06-12 14:48 | 最終章 | Trackback | Comments(3)
Commented at 2024-06-12 19:16
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2024-06-15 07:50
> nemeron1445さん
媽祖信仰の発祥は台湾ではなく、やはり宋の国のようです。続くブログの投稿が遅れていますが、次回をご覧いただけたら。よろしくお願いいたします。
Commented at 2024-06-15 10:14
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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