清明祭や旧盆・旧正月などで、先祖供養のため に神前で燃やすウチカビ(↓写真右)の風習は、 14世紀、察度王の時代に中国から渡来した人々 が持ち込んだという。閩人とも呼ばれる、福建省 から来た技術者集団「久米三十六姓」のことだ。 いっぽう、デザインがまるでウチカビだと感じる 枝銭(模造銭を造る鋳型)は、博多遺跡群の発掘 調査報告によれば、15〜16世紀の遺物(写真左) ![]() 無文銭の鋳型とウチカビに刻された無文銭の柄。 どちらも、中国は明の時代という点が共通する。 そう言えば、明の冊封使は琉球で無文銭を見て、 宋末の銭貨に似ていると記録している。それでは、 ウチカビの風習も宋の代からあったのだろうか? 調べると、やはり宋にも「まるでウチカビ」な、 墓前で燃やすという「あの世のお金」があった。 ![]() 〈冥銭〉のページの本文を引用させていただく。 〜中国では現在でも、埋葬の際にお金を添える 習慣がある。今では本物のお金は使わず、葬儀の 際にはそれ専用の紙幣を使い、墓前で燃やして 使者を送り、冥土での安寧な暮らしを祈る。 (中略)図32は紙で銭貨をかたどったものである。 下側の短冊型のものは、中央が方孔ではなく円孔 になっているが、コラム1で見た湖南省の宋墓 から出土した紙の冥銭とそっくりであり、 伝統の深さを感じる。〜 その〈コラム1〉は「財貨流通の復元」の章に。 〜 冥銭の中には、金属以外で作られたものも あり、湖南省・莱陽市の宋墓からは、紙を短冊 のように切って、銭貨をかたどった冥銭が 発見されている。〜 ![]() そんなわけで、無文銭とウチカビの風習は、 差し当たり宋の時代まで遡ることができそうだ。 と同時に、日本国内で出土している古代錢貨で、 もっとも多いのもまた、宋の銅銭であるという。 ちょうど、NHKの大河ドラマ『光る君へ』でも 越後編が放送中で、実在した宋の商人・朱仁聡 が登場している。平安時代の書物によれば、 一行は長徳元(995)年から長保2(1000)年 までの5年間にわたり若狭や越前に来航して、 右大臣である藤原道長と折衝していたようだ。 時代的にも、朱仁聡や周明(オリジナルの役) は、北宋からやって来た人たちだった。 などと考えたりしていると、琉球王朝の王太后 ・オギヤカの後ろ盾となった一派を探るヒント だったはずの「鳩目銭」からかけ離れていく…。 そんなとき、語り部から次なるヒントが出た。 「まそ」 「まそ、ですか。まそ、まそ?」 と首を捻ったが、しばらくすると気がついた。 先日の那覇で散歩の途中、立ち寄っていた所だ。 つづく。
by utoutou
| 2024-06-12 14:48
| 最終章
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Comments(3)
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> nemeron1445さん
媽祖信仰の発祥は台湾ではなく、やはり宋の国のようです。続くブログの投稿が遅れていますが、次回をご覧いただけたら。よろしくお願いいたします。
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