沖縄は、例年より早く梅雨が明けたそうだ。 那覇にいたあの日からもう1ヶ月が経つが、 梅雨入り前なのに明けたような快晴の日だった。 若狭にある人気食堂で「朝ごはん」を食べた後、 近くを散歩しようとして、足が向いたのは、 波の上ビーチ。お昼前なので人出はそう多くない。 正面の巨岩の上に、波の上宮の屋根が見える。 一般人は入れないが、右の突端は龍宮神の御嶽 ![]() 波の上宮、そして御嶽への遥拝所でお参りする ![]() 往古の海岸と、若狭町の村拝みの場所の案内 ![]() 波の上宮を出て天尊廟・天妃宮で足が止まった。 蔡温も久米(閩人)三十六姓だったと思い出す ![]() あの日は、「尚円王妃おぎやかは誰?」という 素朴な疑問が、頭に引っかかっていた気がする。 初代王・舜天からアマミキヨの勢力は数多あった。 そして政変は繰り返され、琉球尚氏第二王朝の初代王 に尚円が就いたが、その没後、正妃おぎやかは王の弟 ・尚宣威を、王座から引き摺り下ろすことになる神事 を企てたとされる。そのため「おぎやかは尚円金丸に 送られたハニートラップ(※過去ログ)」と考えた わけだが、ならば妃の背後の一派とはいったい何者? …というようなことを考えつつ、お宮へと進んだ ![]() 天妃=天上聖母。宋で生まれたという航海守護の神。 久米三十六姓が伝えたその女神の名は媽祖(まそ)。 しかしその神名を、あの日の私はうっかり忘れていた ![]()
by utoutou
| 2024-06-22 10:24
| 最終章
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Comments(5)
> 晶さん
「群雄割拠→三山統一」という「史実」は、実は交易を円滑に進めるためのフィクションだったという伝承もありますね。仮にそうなら、交易による利益は三倍になるわけで、なるほど…と感じたことがありました。琉中の交易史には私たちの知らないことが隠されているのではと思います。
2
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> nemeron1445さん
コメントありがとうございます。 久米三十六姓の始まりは察度の時代で、300年も続いたそうですけど、王府では海運と貿易業務を担当したと言われていますね。琉球が国際貿易国となったのも久米に来た閩人の功績が大きいのだろうと思っています。 ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> nemeron1445さん
こんにちは。古くから貝交易などで大陸との交流は盛んだったと思います。黒潮の流れと季節風を活用して、東シナ海を自在に還流していたのではないでしょうか。
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![]() by utoutou
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