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琉球玉依姫〈25〉媽祖とエイサーと菩薩

後に媽祖(まそ)と呼ばれるようになった女性
は、北宋の時代の林黙娘という名のシャーマンで、
10世紀末に亡くなったという。航海の守護神とも
呼ばれた高い霊性への崇拝は閩(福建省)の沿岸
のみならず、東アジアへ日本へと伝播していった。

琉球に伝わったのは14世紀末のことだ。伝えた
のは中山王・察度の冊封により洪武帝から下賜
 された職能集団・久米三十六世。明の時代である。

そして、15世紀の前半には、那覇の久米村に
上天妃宮(石門が現存)と下天妃宮が創建された。
前者は琉球王府の航海安全儀礼のために、後者は
久米村に住む官僚や海商による祭祀のためだった。

海商と言えば…
朱仁聡(ヂュ・レンツォン)も、宋の海商だった。

996年に敦賀に渡来。媽祖こと林黙娘と同時代
だが、それゆえか媽祖を崇めるには至っていない。

朱仁聡は、数回にわたる航海の守護神として、
婆珊婆演底守夜神(ばさんばえんていしゅやじん)
の神像を船室の壁に貼り崇拝していたという話が、
『続本朝往生伝(1102年)』などに綴られている。


写真は『光る君へ』サイトから拝借。
左が朱仁聡(浩歌)、右が医者の周明(松下洸平)
琉球玉依姫〈25〉媽祖とエイサーと菩薩_a0300530_14321537.png








婆珊婆演底守夜神(主夜神)は京都壇王法林寺
(だんおうほうりんじ)に、祀られている。
浄土僧・袋中が、明に留学のため渡る1603年に
 感得したという。朱仁聡から500年後のことだ。

ところが、袋中上人は、明に向けて船出した
ものの、上陸を許されなかったため琉球に漂着。
3年間の琉球滞在中に、踊り念仏を広めたことで、
沖縄夏の風物詩でもあるエイサーの父となった。

主夜神。写真は壇王法林寺のHPから拝借
琉球玉依姫〈25〉媽祖とエイサーと菩薩_a0300530_06182027.jpg








袋中上人は、その著『琉球神道記』で、那覇の
天妃宮に祀られる媽祖を「菩薩」とも表現した。

夜を守る神であり、航海を守る船玉神でもある
主夜神の神像を、袋中上人は媽祖に重ねたのか?
『華厳経』では、主夜神は菩薩と説かれている。

ところで、
媽祖を追いかけると、何が分かるのだろうか。
煮詰まった気もしたので、語り部に電話する。

「媽祖なんですが、ちょっと行き詰まりまして」
すると語り部は、事も無げに言った。
「媽祖の元になる神を探せということでしょうね」
また難しいことを…。一応つづく。


散歩中に撮った久米至聖廟跡地に立つ孔子像
琉球玉依姫〈25〉媽祖とエイサーと菩薩_a0300530_06043905.jpg




by utoutou | 2024-07-02 14:08 | 最終章 | Trackback | Comments(1)
Commented by utoutou at 2024-07-07 10:55
> 晶さん
こんにちは。白鳥の御嶽、藪札の御嶽の上にあったという御嶽のことですね。船玉神ですね。大阪の住吉大社の船玉社に祀られているのは天鳥船と猿田彦命ですが、とても似た信仰に思えます。
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