北宋で生まれた航海の守護神・媽祖。その元神 となったのは? と、語り部に問われて考えた末、 辿り着いたのは、宋人の祖・閩越(びんえつ)の 民が紀元前から崇めたという「龍蛇神」だった。 あの『魏志倭人伝』が記した日本の倭人の特徴… 漁と水稲稲作をする生活・龍蛇信仰・航海・持衰 ・断髪・鯨面文身・貫頭衣・ヒコヒメ制などは、 そのまま江南地方の古い習俗と一致するという。 琉球の龍宮(ニライカナイ)信仰にも相通じる 閩(福建省の長江下流域)での蛇トーテム崇拝は、 海洋貿易が一層盛んとなった宋代から、次第に、 霊験あらたかな航海守護の神像を祀る媽祖信仰へ と変容を始めたのではないかと、考えるに至った。 波の上宮(那覇市若狭)の崖下(左奥)で海に 向く拝所は、ニライカナイ(龍宮)と呼ばれる ![]() 上の写真は、 波の上橋から撮影。現在波の上ビーチリゾートと なっているのは埋立地。それがなかった時代には 慶良間諸島の浮かぶ東シナ海を龍宮として拝した ![]() 波の上宮から徒歩3分。天尊廟・天妃宮には、 龍王殿がある。当初は仲三重城にあったが、 王府時代の間に上天妃宮前に移転したと伝わる。 『琉球国由来記』によれば、風雨の神でもあった 龍王を航海者は必ず参拝した。また『球陽』に よれば、雨乞いの儀式では龍王殿に参拝後、 龍王像を久米村の爬竜船に乗せて豊見城城下 まで行き、さらに降雨を願って祈祷したという ![]() 豊見城(とみしろ)と言えば、その市内に保栄茂 (びん)という土地があるが、一説に閩(びん)を 語源とするともいう。また、上の地図に見える 那覇港に注ぐ国場川の支流には寧波川(ねはがわ) がある。浙江省にある寧波(ねいは)は、紀元前 473年に越王が呉を征服した頃からの港湾都市。 時代は下り、寧波は宋船の発着港でもあった。 いっぽう、 国場川の上流域にある島添大里城の御嶽では、 神屋の中央に「宋の銅鏡」が祀られている。 媽祖、宋、寧波、閩(保栄茂)、そして龍神。 閩と琉球の関係は、久米三十六姓の渡来より 遥か昔、越の興る弥生時代から深かったのでは? 東シナ海を渉る海洋民は既に存在したと思うのだ。
by utoutou
| 2024-07-09 21:22
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