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琉球玉依姫〈28〉鴨氏につながる?

語り部に降りてきたヒントは、「マサン」。
無文銭、宋、閩越、久米、長江、寧波、黄海と
話は繋がってきて、さて、これからどうなるか。

雲を掴むような話でもどかしいが、萌える。
このシリーズのタイトルとした「琉球玉依姫」
の祖先にあたる渡来一族に辿り着くのが、
このシリーズのゴールだと密かに想像している。

その一族の名はおそらくヤマトの豪族となった
賀茂氏・鴨氏。そして、その同族の秦氏だろう。
思い返せば昨年末、京都に行き賀茂神社の摂社
・片岡社↓で「玉依姫」に参拝したことをブログ
に書くと、語り部はこんなふうに言ったものだ。

「天久にいた中玉依姫の伝説を遡れば、その神魂は
賀茂玉依姫に、さらに遡れば神武天皇の母である
玉依姫に繋がるということが、分かるはずです。
 あの資料を、じっくり紐解いてみてはどうですか」
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そんな経緯で、最終章「琉球玉依姫」は始まった。
資料とは、那覇市天久で歴史伝承を研究した古老
 が、平成時代に纏めた『アミク村の歴史と民俗』。

そこには、琉球はまだ貝塚時代だった
4〜7世紀に渡来し、やがて海岸の湿地や崖地から
台地へと移住して稲作やタタラ製鉄に勤しんだ人々
の歴史と伝承が綴られている。族名こそ窺えないが、
 鉄の発祥地・オリエント、大陸の西から来た人々。
「天久(アミク)とはアマミキヨ(渡来人)のこと」
と伝わる地名伝承は、本島南部のアマミキヨ伝承地
・明東(ミントン)の御嶽名と相まって、意味深だ。


アマミキヨ渡来地・天久の崖上から臨む那覇新港
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と、振り返ったところで、「マサン」の考察を。
古代人の造った丸木舟では黒潮は超えられない。
長江の河口部を出て山東半島沿いを北へと航海し、
朝鮮半島に渡った人々は「マサン」へと南下した。
つまりそこは大陸とこの島々を繋ぐ歴史的なハブ港?

逆引きのような推理は当たった。
馬山(マサン)。朝鮮半島の南、慶尚南道にある
鎮海湾の最奥部に位置し、古来よりの良港という。
地図↓写真は「釜山でお昼を」さまサイトより拝借。

 馬山は『東夷伝』には「倭」として記されている。
『日本書紀』にも「卓淳(たくじゅん)」という
 地名で登場する。伽耶諸国の領域内だが、一帯は
「任那」と呼ばれた。というか『書紀』がそう呼ぶ。
「任那日本府」の存在を思わせる記述も何ヶ所かある。

知りたいのはその半島南端の「倭」に、後に鴨氏や
 秦氏となる人々が留まっていた時代があったか、だ。
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by utoutou | 2024-07-26 16:22 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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