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琉球玉依姫〈29〉壱岐の月弓命

 鴨族の来歴はさて置き(過去の推理はこちら)、
後に同族となる秦氏の集団が朝鮮半島南部の
「加羅にいた」と、『日本書紀』は記している。

5世紀以降、継続して移住してきた人々が秦氏だと、
研究家も述べている。加羅(伽耶諸国)、特に、
金官伽耶(慶尚南道金海郡)の技術者たちだった。

彼らは秦の始皇帝の末裔か…とよく言われるが、
すべてがそうではなく、末裔の伝承を持つ人々が、
集団の中核にいたということではないかとも思う。

とにかく、朝鮮半島から対馬・壱岐へと渡り来た
秦氏は最大の渡来氏族で「倭国」のインフラ技術・
政治・文化・経済・産鉄などに深い影響を与えた。

『日本書紀』の応神天皇14年の条に、百済から
弓月君が来朝。その民を加羅から連れて来るため、
葛城襲津彦を派遣。3年後、共に来朝したとある。
『新撰姓氏録』の応神天皇14年は、弓月君は
 百二十七県の百姓を率いて帰化したと記している。

「率いたのは弓月君」…と書いたところで、壱岐の
 月読神社(壱岐市芦辺町国分)の記憶がいま蘇る。

初めて壱岐島に渡り神社巡りをしたのは1年半前。
月読神を祀る月讀神社には、冬だからかコロナ禍
だったからか他に参拝客はなく、風が冷たかった。

そしてこちらの神社では、祭神である月読命は、
三柱に分けて祀られていることを知ったのだった。

赤い鳥居の中の右に月弓命(つきゆみのみこと)、
そして、鳥居の中の左に月夜見命が祀られており、
月讀命は拝殿の中に祀られているとの説明を読んだ。


すぐに、月弓命の神名に弓月君を感じたのだったが、
そのことは秦氏が壱岐にいたことの傍証になるのか?
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月讀神社。石段の上に月読命を祀る拝殿がある。
さらに上には奥の院の御嶽? 赤い鳥居が立つ
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そしていま、参拝したきりになっていた月讀神社
の御由緒を再読し、壱岐と秦氏の関係を確信する
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〈月読神社(由緒の要旨)〉
御祭神 中 月夜見尊 / 左 月弓尊 /右 月読尊
鎮座年数 西暦487年月読神社に天月神命を祭り、
高御祖神社には天月神命の祖・高産霊尊を祀る。

〜(前略)壱岐の県主の先祖「忍見宿禰」が、
西暦483年に月読神社を分霊して壱岐から京都に
祭りに行かれた。(中略)壱岐島が古神道の
発祥地であると言われている。京都、洛西、松尾
神社の横に月読神社はあり(中略)壱岐島の月読
神社が全国の月読神社の「元宮」とされています〜

(京都)松尾神社の横にある月読神社の元宮は壱岐。
「横」とは境外摂社のことだが、松尾神社(大社)
とは、他でもない秦氏の創祀した神社であった。
逆に、壱岐の月読神社も秦氏による祭祀だろう。
秦氏が半島から壱岐の島に渡来した痕跡がここに。









by utoutou | 2024-08-01 17:04 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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