前回のブログで話題にしていた『魏志倭人伝』 が成立した時代は3世紀の後半。その邪馬台国の 人々が琉球に里帰り移住したという伝承がある。 その点をもう少し詳しく知る術はないものかと、 実は、この最終章を始めた当時から考えていた。 その伝承を深めずしてこのブログは終われない という、最終章ならではの切迫感もあった(笑) 過去ログ「邪馬台国とベリッシマ」にも書いたが 琉球に残る邪馬台国にまつわる伝承は、こんな話。 〜九州で栄えた邪馬台国と九州に新たに設立された 王朝との争いで、邪馬台国は破れ、国人は北は 近畿に、南は九州、大島経由で沖縄に逃れてくる。 これが新アマミクと呼ばれ、中国の魏の国と交易 して稲作文化を持って来た人達です。〜 ※『天久村の歴史と民俗』より マボロシの邪馬台国…語り部の見立てによれば、 それは火の国(熊本)にあった。なぜなら、 その地は、朝鮮半島の南部に1〜6世紀に栄えた 加羅諸国と、琉球諸島を結ぶ海路の要衝地にある。 海路とは縄文時代から琉球諸島の子安貝や宝貝を 大陸へ運んだ、隼人族の「貝の道」のことだろう。 その海路を渉って、後にヤマト古代豪族となった 秦氏や鴨氏の一部も琉球に渡来したと、語り部。 さらに視界を広げれば、大陸の江南地方や南太平洋 の島々を行き来する海人族の都は、琉球だったと。 そんななか再び沖縄に旅をした。那覇に5泊6日。 旅の最後、那覇空港から羽田へと離陸した機体は、 那覇港の上空へ。嘉手納基地との関係で低空飛行 は続き、お陰でアマミキヨの里・天久が見渡せる ![]() 中央右、緑の稜線が天久。邪馬台国伝承の舞台。 また、その奥に見える丘陵が首里。左手一帯が 浦添の丘陵。旅中、沢岻(たくし)に足を運んだ。 その沢岻ではヒミコ神の拝所に参拝。詳細は後日。 ![]() 古代について沖縄ではあまり的確に語られない。 貝塚時代の前半、3〜4世紀は「クバぬ葉世」。 古代部落マキョの時代、4〜12世紀は「神ぬ世」。 グスク時代以降、15世紀以降は「按司ぬ世」。 後世から見れば4世紀は「神世」、先祖は神だ。 『魏志倭人伝』が語られないのも、同じ理由か。 那覇新港の上空を飛んだ3分後に、見えたのは 読谷村・残波岬? 宇座という名前のビーチがある。 ご存じ、現在は高級ホテルが点在するリゾート地。 宇座に続く渡久地ビーチは薩摩による琉球侵攻の、 そして今次の大戦における米軍上陸の地だった。 地形が侵攻の適地だったのか? と思うが、「宇」 の字を含む地名は、宇佐など渡来海人族に因む。 旅の2日目は、その宇座ビーチを訪れてみた ![]() ![]()
by utoutou
| 2024-08-11 19:10
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