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琉球玉依姫〈31〉浦添のヒミコ女神

浦添市の沢岻(たくし、MAP)へ向かう。
那覇市の北に位置する浦添市のもっとも南部。
南の裾を流れるのは安謝川の支流・沢岻川。高台に
 御嶽が点在していたというが、遺跡調査記録はない。
 ゆいレール古島駅に近い古島交差点から車で約10分。

以前からここに「ヒミコ女神」が祀られていると
聞いていた。住宅街の一角の公園にさりげなく…。
私のようにわさわざ参拝に訪れる人もいなさそう。

お宮は昭和58(1983)年に建立されたようだ。
ヒミコ女神あるのは、あの卑弥呼のことだろう。
右側に立つ石碑に「邪馬台国」と刻まれている。
真偽はともかく、建立者はその意図で崇めたのだ
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中央の碑に「恵比寿、天照、大國」の文字が並ぶ。
右の石は何だろう? 見つめてたが分からなかった
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【中の殿の御嶽】
右に「御天聖地 邪馬台国根火の神」と刻まれている。
邪馬台国の根本である火の神ここにあり、か。
火の神とは「太陽・月・星」なる三神のことである。
「龍宮・十二支軸・みるく」も異名同神に感じられる。
そして、邪馬台国の「根」とは「故郷」との意味か。
そのように感得した人が、この集落の有力者にいた?
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周りには瀟洒な住宅が並んでいる。丘陵の中腹。
この拝所は、東シナ海に向かって建っている。
また逆に、海を背にして拝すれば丘陵に対峙する。
沢岻とは高石、あるいはカニマンのことだという。
カニマンのほうだろうなと考える。ここは鍛治の郷?
古代産鉄に必須の、火(陽)と風と水に恵まれている
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天久に渡来したアマミキヨの一族はこの高台まで
移住したという、那覇市天久に残る伝承を何度か
紹介したが、正しくは「渡来」でなく「帰還」か。
〜卑弥呼の末裔は火の国から琉球・天久に帰った〜

卑弥呼・火の国・アマミキヨ、そして、沢岻。
天孫氏は火の一族。長く続けたシリーズが甦る。
それでも、卑弥呼の名が上がることはなかった。



by utoutou | 2024-08-22 09:51 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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