浦添市沢岻の御嶽廻りのブログを投稿して1週間 以上が経つので時差が生じたが、直後に語り部 から電話、「思い出したことがあります」と言う。 「ヒミコのことなんです。ヒミコとは、 琉球では古来、ヒミカと呼ばれる神女でした」 「ヒミコ…ですか。あの卑弥呼のことですよね」 「はい。何十年かぶりに思い出したんです」 語り部は言う。いつもより少し早口な気がした。 「火(陽・霊)と水と風。それでヒミカです。 ヒミカを意のままに操る霊力(しじ)を持つ神女」 天孫氏は火の一族。だからヒミコ、いや、ヒミカ の末裔は火の国から琉球に里帰りしたのだったか。 その里帰り伝承は、西海岸の天久に残るものだが、 天久と沢岻は安謝川と支流の沢岻川で繋がっている。 語り部がヒミカについて思い出したのは、沢岻 集落・西端のめじろ公園にある「中の殿の御嶽」 ![]() 左に、ヒミコ女神。 なぜカタカナ表記で、なぜ昭和58年の建立なのか? 不思議に感じていたが、妙に腑に落ちた思いがする ![]() 沢岻(たくし、MAP)について改めて調べる。 〜浦添市の字。北方の丘を背に発達。 金満御嶽があり、古くから鍛治や農耕が興っていた とみられる。かつては沢岻ターブックワがあり、稲作 が盛んだった。現在は那覇市のベッドタウン化して いるがサトウキビ兼業農家も多い。昭和薬科大学付属 高等学校(中略)がある。〜「沖縄第百科事典」 ※ターブックワとは田圃を意味するウチナーグチ。 同じ事典には、沢岻グスクの解説もあった。 〜 浦添市沢岻北側、標高70mの石灰岩丘陵上に立地 するグスク時代の遺跡。東側に金満(カニマン) 御嶽、西側に公芳(クボウ)の御嶽があったが、 採石、宅地造成などで西側は破壊された。 中国陶器、須恵器、古瓦およびグスク系土器が出土 〜 さらに調べると、グスクがあったわけではない模様。 グスク時代の遺物は出たが、沢岻遺跡が正しい呼称 のようで、住宅や墓地の開発で集落の御嶽や祭祀が 消えゆくのを案じた人々がこの拝所を建てたようだ。 中の殿の御嶽の横に、大きな石碑も立っている。 「天続々女神、国じく」と刻されている意味を、 考えていたとき、語り部から電話が来たのだった ![]() 天続々女神とは、 『琉球祖先宝鑑』(昭和8年刊、慶留間知徳)に 載る「長女 天続首大神」のことだろうと推察。 〜この人は沢岻村の西の天雨続御嶽の内に埋葬 せらる 〜との説明。この地に眠る御先祖のようだ。 その前ページには、父親について記されている。 沢岻世主 〜 在所は浦添沢岻村根屋当間と云う家也。〜 詳しくは次回につづく…が、 沢岻世主の曽祖父は天帝子、高祖父は天太子と。 天帝子とは、安摩弥姑・志仁礼久の子である。 アマミキヨとヒミカ(卑弥呼)が繋がってくる気配。
by utoutou
| 2024-08-31 20:06
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