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琉球玉依姫〈35〉火の国の卑弥呼

夏の沖縄旅で参った浦添市沢岻(たくし)の御嶽
の話はしばらく横に置き、前回ブログに載せていた
「九州綱引き分布図」の続きで思うことをここに。
 それが卑弥呼(ヒミカ )を理解する早道のようだ。

「綱引きは隼人の風習」と、民族学者・大林太良氏は
述べた。十五夜綱引き神事が残る地域と隼人や熊襲
  が居たと思われる地域は、ピタリと一致するという。

その話で、過去ログでも紹介した ↓ MAPに見入る
御船町に熊襲まつわる伝承がある。『日本書紀』
は景行天皇が熊襲平定のため御船川に着船…と記す。
熊襲はこの地に展開していたということになる
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いっぽう御船町の西に目を転ずると、八代海に
突き出た宇土半島、その東に宇土市(青丸は加工)。
縄文前期の曽畑貝塚からは↓曽畑式土器(左)が出土。
それは朝鮮半島からも出土。海路での交流が窺える。
熊襲は、東シナ海を自在に往来していたのだろう
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曽畑式土器の遺跡一覧。赤線(加工)が曽畑遺跡。
(鹿児島県上野原縄文の森サイトより拝借)
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さて、↓こちらは何度か拝借した「貝の道」図。
南海産の貝を大陸に運んだのも熊襲や隼人だった。

曽畑式土器出土地分布図と、かなり一致して見える。
曽畑式土器は沖縄本島の北谷伊礼原遺跡からも出土。
もちろん「貝の道」の一大ポイントでもあったようだ
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「綱引き分布」と「曽畑式土器分布」は「貝の道」
とともに広がっていたのだろう。そして、その道
のどこかに女王・卑弥呼の国があったのではないか?
 と、最近は「火(肥)の国」にココロ奪われている。

卑弥呼の末裔は火の国から沖縄に里帰りした…。
 あの天久に残る伝承を踏まえると、おのずと、
 「邪馬台国は熊本にあった」説が浮上してくる。
  そして、卑弥呼は熊襲の血を引くという推理に至る。


by utoutou | 2024-09-29 13:58 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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