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琉球玉依姫〈39〉「日高見の王」振り返り

先日、熱田神宮の摂社である氷上姉子神社の鎮座地
について「そこも日高見の国です」と言った理由を
当の語り部には、まだ聞いてはいない。が、私は
 地名から紐解けるというアドバイスだなと理解した。

写真は氷上姉子神社(名古屋市緑区大高町火上山)
の公式サイトより拝借。まだ参ったことはない
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その「日高見」は歴史には決して現れない…いや、
 現れるけれども、東北にあったという古の夷の国だ。

しかし、ヤマトタケルの九州遠征で殺されたと歴史
の記す男性の首長(熊襲の王・川上タケル)は、
語り部の口を借りて、「日高見の王」を名乗り、
「私は殺されたわけではない」と言ったという。

あのとき、語り部はこう説明した。
「日高見王は小碓命にタケルという王号を差し出した。
つまり、王は日高見の国を譲ったのだと思います」

肥後にも日高見の国があったということなのだろう。
王は白い着物を着ており、髪は耳下で美豆良に結い、
頭には金冠を被っていた。普通の金冠とは逆さまで
輪から金の髪飾りが何本も枝垂れるような形だった。
※昨年9月9日のブログ「熊襲の王、降臨」より。

と、いま、ここまで振り返って、
私は大きな記憶違いをしていたことに気がついた。

語り部が「日高見の王」を霊視したのは昨年の
9月8日。それは、11月11日に行われた緑間玲貴
さんの伊勢内宮奉納の舞より以前だったのを、
後のことと、すっかり勘違いをしていたのだった。
(9月と11月、昨秋は2度、那覇市に行っていた)

緑間さんがヤマトタケルに扮して舞う『御佩剣』
(みはかし)の上演前に「日高見の王が現れた」
からこそ、語り部は御佩剣=天叢雲剣(草薙の剣)
を祀る熱田神宮に参拝したいと強く望んだのだろう。

ちなみに彼は、天叢雲剣はもともと琉球にあった
 と考えている。琉球にいた海神族の神器だろうと。
 ヤマトタケルや弁財天(ビゼーティン)をテーマに
 創作する緑間さんを応援する理由が、そこにある。


緑間夫妻が皇大神宮(内宮)参集殿で舞った
『御佩剣』。写真は緑間玲貴さん公式ブログより拝借
琉球玉依姫〈39〉「日高見の王」振り返り_a0300530_13020452.jpg








ところで、もし昨秋、語り部が予定通り熱田神宮
に参拝していたなら、古代の尾張・美濃も日高見
の国だったと、あのときに悟っていたのだろうか。

思えば、日高見の国の別称については言っていた。
各地に残っている日高見とよく似た地名…例えば、
飛騨・日田・日高・常陸・北上などは、みな日高見
から転化したもので、その場所は東北に限らないと。

大祓の祝詞に「大倭 日高見の国」とあるように、
大和朝廷の成立のはるか以前から在った倭の国だと。

語り部には、改めてじっくりと「日高見の国」
について、尾張の国についても聞かなければ…
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※2年前の9月8日、沖縄本島の東・久高島に昇る朝日











by utoutou | 2024-11-07 11:08 | 最終章 | Trackback | Comments(1)
Commented at 2024-11-07 15:50 x
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