人気ブログランキング | 話題のタグを見る

琉球玉依姫〈43〉超縄文の女神

優しく凛とした佇まいの神社だった。
熱田神宮摂社・下知我麻神社(しもちかまじんしゃ)。
神宮の南門付近にある上知我麻神社を出てから、
国道19号線の歩道を10分歩き、14:55に着いた。

熱田神宮の摂社だが、神宮境内からは経路がない。
謎めいている。どこかを遥拝している印象もある
琉球玉依姫〈43〉超縄文の女神_a0300530_08073890.jpg








社標の説明
【下知我麻神社】
祭神 真敷刀尊(ましきとべのみこと) 
祭神は宮簀媛命の母神にあたり 俗に
「紀大夫社」(きだゆうしゃ)と称されていた
往時の東海道や佐屋街道に面していたことから
古くから旅行安全の神様として信仰の篤いお社である
琉球玉依姫〈43〉超縄文の女神_a0300530_08074693.jpg









振り向けば神宮の西の伏見通り(国道19号線)。
江戸時代佐屋街道は東海道の脇道として賑わった
琉球玉依姫〈43〉超縄文の女神_a0300530_08103275.jpg







再び振り向くと、とても丁寧に拝礼する人たちが。
そのとき、ふとこんなことを思った。

祭神の真敷刀尊は宮簀姫の母というが、
この地に先住した首長の家系だったのではないか。
宮簀姫の父で、上知我麻神社の祭神・乎止与命
(おとよのみこと)は、たとえば婿入りするかたちで
 いわゆる政略結婚をしたなら、一対神ではあっても、
離れて祀られるというかたちが納得できる気がする
琉球玉依姫〈43〉超縄文の女神_a0300530_08085225.jpg






さて、
尾張の旅から、かれこれ2週間近く経とうとする
今朝、またふと真敷刀尊を思い出し気がついた。

上知我麻神社は、熱田神宮本殿の奥に向いている!?
奥には一之御前神社が坐す。祭神は天照大神の荒魂
(瀬織津姫)。下知我麻神社はその少し南西に位置する。
※地図は神宮サイトから拝借。左上の赤矢印は加筆
琉球玉依姫〈43〉超縄文の女神_a0300530_13274005.png





語り部はかつて、一之御前神社に「超縄文の女神
を視ていた。そのブログに綴った会話を思い出す。
一之御前神社は実は陵(みささぎ)だった ?という
話の流れで、謎解きをしていた(※以下コピペ)。

「陵の主は、宮簀姫の父・乎止与(おとよ)命?」
「はい、尾張の一族の長だと思います」
「では、熱田大神は天照大神のことではなく、
尾張氏の祖神・火明命となるのでは?」
「いえ、どうもそれも違うと思うんです。
熱田から北へ行った方向が気になります」
「まさか、飛騨高山…超縄文の女神ですか?」
「はい…」

***

つまりこういうことか ? と、いまは思う。
 超縄文の時代から、飛騨は日高見の国だった。
  真敷刀尊(マシキトベ)は、日高見の女神の末裔。
  東海のこの熱田台地も日高見の国だったのではないか。
推理つづく…。











by utoutou | 2024-12-15 14:43 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

<< 琉球玉依姫〈44〉氷上山へ 琉球玉依姫〈42〉その神の名は? >>