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琉球玉依姫〈48〉旧正月と龍神

昨日1月29日は旧正月。巳年が始まりました。
改めて新年明けましておめでとうございます。

三ツ鳥居の話で終わった前回。尾張一之宮
真清田神社の奥宮・三明神社に立つ三ツ鳥居は謎…
と書いてから、ゆうに10日は経ったように思うが、
逆に巳年の旧正月に「龍神」を記す偶然が起きた。
真清田神社には、龍神信仰が根付いていたようだ。

その興味深い三ツ鳥居のある三明神社へは、
本殿(左)と↓摂社・服織(はとり)神社の間の道
を進むが、月2回の参拝日以外は閉門するという。
その三明神社の祭神は、本宮(天火明命)の荒御魂
琉球玉依姫〈48〉旧正月と龍神_a0300530_16112043.jpg








三ツ鳥居と言えば思い出すのは、奈良の大神神社だが、
真清田神社に建立されたのはどんな経緯だったのか?
図書館で『真清田神社参詣曼荼羅』を閲覧してみた。

解説によると、こちら真清田神社の桃花祭の絵図で、
確かに、曼荼羅図の天辺↓に三ツ鳥居が立っている
琉球玉依姫〈48〉旧正月と龍神_a0300530_15355359.jpg



原図の製作年代は桃山期に僧・英空に寄進された
もので、補修の記録から1653年以前とのこと。

解説中、興味深いのは「日月輪に雲竜」の項目だ。
〜(※絵の右上)日輪の竜は水神、(※左上)月輪の竜
は日神と解釈されていた。(※三ツ鳥居の)左右の日月
には雲竜が描かれ、当社の竜神信仰が反映している。〜

「本殿背後の三ツ鳥居」の由来も記されている。

〜崇神天皇が、真清田神社造営の際、鳥居型の雲
が降り、本殿の背後に三鳥居が建ったという。〜

神社の由緒には、神武天皇のときの創祀とあったので、
崇神天皇(第十代)のときとの二説があるようだ。
思えば、大神神社に巳さんこと三輪明神を祀ったのも
崇神天皇という。こちらも龍神信仰との由縁は深い。


つまり、と思う。この真清田を本拠とした人々は
元来の龍神信仰を、律令国家の成立を跨いで現代まで
この地で守り抜いてきたということになるだろうか。


本殿と並ぶ摂社の服織神社は、昭和時代の建立と
いうことで、真新しい社殿が美しく保たれている
琉球玉依姫〈48〉旧正月と龍神_a0300530_16113463.jpg








服織神社の祭神は、萬幡豊秋津師比賣命
(よろずはたとよあきつしひめのみこと)。
天火明命の母神で、高皇産霊神の娘とも伝わる。
沖縄では高木神と呼ばれ、子孫を名乗る人もいる。
この真清田の境内には、どこか琉球を想起させる
霊気のような何かが満ちている気がしてならない
琉球玉依姫〈48〉旧正月と龍神_a0300530_16114177.jpg



by utoutou | 2025-01-30 18:51 | 最終章 | Trackback | Comments(2)
Commented at 2025-02-07 10:40
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2025-02-25 07:00
> 匿名 (晶)さん
お久しぶりです。八幡神を須佐男命と捉えると、その神話が秘伝だったというのも頷ける気がしますね。コメントありがとうございました。
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