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南島の瀬織津姫〈1〉八幡比咩とは何か

沖縄本島の北端・辺戸集落にシバヤーと呼ばれる
 旧家がある。一昨年、アシムイの御嶽に登山した
後で集落を訪れたとき、語り部が案内してくれた。
「こちらが辺戸天孫氏のお家です」と。
雨戸を開けた語り部の後に付き、神壇に拝礼した。

シバヤーを出て坂道を下ると、琉球王府の恒例神事
「お水取り」の舞台・辺戸大川まではほんの数分
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シバヤーは天孫氏。天孫氏はアマミキヨ。
シバヤーのご先祖は、いつの時代のアマミキヨかと
思いつつ私も掌を合わせたが、辺戸といえば琉球開闢
七御嶽の筆頭。アマミキヨの第一陣だったのだろうか。

アマミキヨは渡来の人。海の向こうから来た人。
開闢は繰り返されたと、語り部から何度か聞いた。


シバヤーのある辺戸集落は、宇佐浜の上に位置する。
集落の中心の神屋(赤瓦屋根)から徒歩ですぐ。
ここからアシムイ(安須森)の御嶽を一望できる
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「また辺戸のシバヤーに行ったんですよ」と、語り部
から聞いたのは、今年の新暦正月が過ぎた頃だった。
それから、「宇佐」に関連する話題が多くなった。
実は2月の上旬、那覇市で語り部に会っていたが、
辺戸へ行く時間はないようだったので、私も諦めた。

沖縄を離れてから数日後、語り部から電話が来た。
開口一番「カラシマシを知っていますか?」と言う。
「カラスマ・シ…??」私は鸚鵡返しに聞いた。
「いえ、辛島氏です。宇佐神宮の神官だった秦氏の」
辛島氏は琉球に渡来したとの神託があったらしい。

はたして、辛島氏はシバヤーと関係があるのか?
その考察はこれからのことになるが、辛島氏に
ついては一昨年に鹿児島に旅した当時、書いていた。
※過去ログは八幡神とは何か秦氏の来た道

当時、「八幡神とは何か?」と「神」に問われて、
語り部は須佐之男と答えたというが、正解らしい。
須佐之男命と五十猛命は、辛島氏の祖神と言われる。

鹿児島神宮の別名を大隅正八幡宮と呼ぶのは、
辛嶋氏が八幡信仰の担い手だったからで、宇佐
から大隅へ移住を余儀なくされたその渡来氏族は、
大和朝廷に抵抗した隼人と深く関わることになる。

以来、私は、「八幡比咩とは何か」
という難しいテーマを持て余し気味に抱えている。
いま新シリーズを始めるにあたり、そのタイトルを
あえて「南島の瀬織津姫」としたのは、辛島氏と
いうキーワードを得たからには「八幡比咩とは何か」
という積年の謎を解きたいという切なる思いからだ。


辛島氏はアマミキヨなのか…。この最終章は、
『八幡比咩とは何か〜隼人の蜂起と瀬織津姫』の
著者である故菊池展明氏へのオマージュでもある。
ちなみに、氏の女神研究には琉球は登場しなかった
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by utoutou | 2025-02-22 17:50 | 最終章 | Trackback | Comments(4)
Commented at 2025-02-24 19:21
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2025-02-25 06:50
> さいとう よしみさん
お久しぶりです。ご指摘ありがとうございました。そうでした。『出雲の国の女神』巻末の「瀬織津姫【異称】全国祭祀一覧及び伝承」に、波の上宮と普天間宮が出ていましたね。熊野権現が影向したという縁起が、この度、(祖神を須佐男命と五十猛命とする)辛島氏の来歴を想定することによって繋がりました。また「隼人と南方諸島の神話」(p192)に登場する「カヤ」も、秦氏(辛島氏)が長く留まっていたという新羅・伽耶の地域に因むかもしれないと、久しぶりにこの書を開いて感じた次第です。伊祖という地名と五十猛命、久高島の徳仁港と(朝鮮半島南部の馬山あたりにあった)卓淳(とくじゅん)という国など、知名の類似も気になっていたことを思い出しました。感謝です。
Commented at 2025-02-25 19:24
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by utoutou at 2025-03-07 21:16
> さいとう よしみさん
返信が遅くなりました。普天間宮と波上宮に加えるべきもうひとつ熊野権現(弁財天)を嬉しく思い出しました。ただ、天久宮の縁起では、熊野権現と弁財天を同一の神格とはしていないわけですが、菊池氏の書いた熊野権現=瀬織津姫威=弁財天という繋がりは見えてくる気がしました。
川神、滝神、龍神、水の神、月の神、稲荷の神など、太陽神の対極にある女神伝承は、おっしゃるように縄文の時代から続く輪廻というか普遍の祭祀の要だったのでは?と思っています。
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