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南島の瀬織津姫〈2〉琉球に来た秦氏

古代、朝鮮半島の新羅から渡来した秦氏の一派で、
八幡信仰を日本列島にもたらしたのは辛島氏という。

かつてブログ「秦氏の銅鏡」にも書いたように、
最初の渡来地は、香春(福岡県田川郡香春町)で、
香春神社で香春の神を同族とともに奉斎した後、
宇佐神宮の社家として女性禰宜を輩出したと伝わる。
'17年末、雪の降る日に福岡から香春へ足を運んだ
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境内に立つ記念碑には、1300年前の創祀とあった
ので、この地で採銅や鋳造や稲作の技術を活かした
だろう秦氏(辛島氏)の活躍を思ったりしたものだ
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一般に、大陸を発した秦氏が渡来した時期は、
(百済の)弓月君が渡来した5世紀(応神天皇の時代)
以降とされるが、こと辛島氏に関しては、渡来時期
は大きく遡り、また渡来地も異なるという説がある。
ちなみに、辛島氏の「辛」は「韓」と転化とされる。

その異説とは、こうだ。
『新羅本紀』の始祖・赫居世38年(紀元前20年)
の条に、「これより先、中国人たちは秦国の乱に
苦しみ、東方へと亡命してくる者が多かったが、
彼らは馬韓の東に多く住み着いて、辰韓人たちと
雑居していた」と記す。秦・漢の乱で亡国の民と
なった秦氏は新羅で八幡神と出会い奉斎したため、
やがて新羅系渡来人と呼ばれることになった、と。

また『八幡宇佐宮御託宣集』によれば、八幡神が
最初にこの国に降臨したのは「宇佐の地ではなく、
蘇於山(霧島山)のある辛国宇豆高嶋」という。

〜(神武天皇14歳の時代に)辛国城に初めて
八流の幡と天降りて、我は日本の神と成れり 〜

というわけで、
その韓国宇豆峯神社(霧島市国分)には、現在も
辛島氏の祖神という須佐男命と五十猛命が祀られて
いるわけだが、渡来時期は紀元前後で相当に古代
だというその説を思えば、ヤマト各地の神社縁起で
知る八幡神の縁起が、音を立てるように崩れていく。

そこで、ようやく、
語り部から何度か聞いた話が、腑に落ちたのだった。
彼はかねてから秦氏に関連する話をこう語っていた。

例えば…
秦氏は琉球に紀元前後の時代から琉球に渡来した、
とか、(沖縄本島)辺戸岬の宇座浜(↓)に着いた
秦氏は本島各地や八重山の石垣島に到達した、など
南島の瀬織津姫〈2〉琉球に来た秦氏_a0300530_16472054.jpg





秦氏を辛島氏に置き換えれば、九州の南端部から
「道の島」伝いに南下したことは容易に想像がついた。

それが「琉球に来た宗像三女神」伝承だと、語り部。
いっぽう「宗像三女神とは八幡比咩のこと」だと、
 あの『八幡比咩とは何か』の著者・菊池氏は記した。
つづく。


by utoutou | 2025-03-02 12:25 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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