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南島の瀬織津姫〈7〉波上宮の縁起

熊野権現と言えば波上宮(那覇市若狭)を思うが、
その起源は、察度(さっと)王の時代という。

琉球第一王朝に倒され察度王とその息子・武寧王、
二代で終焉した察度王統(1350〜1405年)。

やはり察度王の息子という崎山子(さちやましー)
が、他でもない波上宮の神社縁起に登場する。
南風原に住む崎山子が釣りの折に得た霊石を祀った
のが花城(はなぐすく※端城とも表記)だった。

以下、神社由緒の抜粋。
〜往昔、南風原に崎山の里主なる者があって、
毎日釣りをしていたが、ある日、彼は海浜で
不思議な〝ものを言う石〟を得た。以後、彼は
この石に祈って豊漁を得ることが出来た。この石
 は光を放つ霊石で大層大切にしていた(中略)。
花城に至ったとき、神託があった。即ち、
「吾は熊野権現なり。この地に社を建て祀れ、
しからば、国家を鎮護すべし」と(後略)〜
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崎山子は察度王の息子、というだけで生没年など
は不祥だが、その屋敷跡と言われるのが首里城の南
にある崎山御嶽。考古学的には「崎山御嶽遺跡」と
呼ばれ、大和系の古瓦が出土している。その時期
 は、察度王統に属する(沖縄大百科事典)という。

いっぽう、波上宮とその神宮寺・護国寺の創建も
1368年。やはり、察度王の時代まで遡る。
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波上宮から護国寺へ。何度か散歩したが、思えば
その度、1368年という創建年に目が止まった。
霊石を拾ったとき、崎山子は何歳だったのか?
その縁起の核心は、一体どこにあるのだろうか?
南島の瀬織津姫〈7〉波上宮の縁起_a0300530_13180989.jpg





そして、察度王の来歴にもふと思いを馳せていた。
父は奥間大親、母は天女という伝説。謎めいている。
そこに、どうも大和の血を感じるのは何故なのか?




by utoutou | 2025-04-25 17:06 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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