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南島の瀬織津姫〈8〉熊野と琉球

熊野と琉球の関係を辿ると、始源はどの時代に
なるのだろうかと、いつも思いを巡らせていた。
琉球八社に見える熊野信仰には、補陀落渡海して
琉球に漂着した僧侶の影響が大きいとされるが、
語り部は、さらに古代に遡るに違いないと言う。

それを解くための何気ないヒントをもらってから、
1ヶ月が経つ。私が那覇にいたその日、語り部は
知人のN子さんから3ヶの和歌山みかんを贈られた。
 出身地・和歌山のみかん農園で採れたものという。

一緒にお茶した後、夜になって、語り部から電話。
「N子さんの実家の近くに神社はありませんか?」
「いや、私は知らないんですけど」とは言えない。
N子さんに電話で聞く。そうして分かったのは、
 近所に日前・国懸神社(和歌山市秋月)があること。
 みかん「3ヶ」に特別な意味はなかったこと(笑)。

彼女の話を伝えると、「やっぱり」と呟いてから
語り部は、次のようなことを言うのだった。
「熊野三山と日前・国懸神社は琉球と繋がっている」

 その託宣(?)を受け取った翌日、ふと
伊祖グスク(浦添市)に行ったことをいま思い出す。
北谷でのランチ後、那覇へ戻る途中で寄ってみたのだ。

伊祖グスクを「イソタケルの城」と過去ログで書いた
のは9年前、ある作家の説を参考に、伊祖グスクを
築城者・恵祖世主と、紀国で祀られるイソタケルを、
消えた「伊氏」で繋がる古族の血統ではないかと推理
したが、このたび伊祖グスクで感じたのはグスク内の
祭祀場と思われる位置について。伊祖神社は伊祖グスク
の本丸跡に鎮座。右奥が威部(至聖所)ではないか?
南島の瀬織津姫〈8〉熊野と琉球_a0300530_09543289.jpg








神社の奥に残る古い石積みの階段を登っていくと、
「旗立て」と呼ばれるグスクの最高地点に出る。
牧港を見渡す、まさに絶好の物見台だけれども、
その一段下に、踊り場のような平たい空間がある。
足場が悪く写真はないが「気」がここだけ異なる
南島の瀬織津姫〈8〉熊野と琉球_a0300530_09543524.jpg








 伊祖神社境内の地図(左上が北方向)を見ると、
旗立て台(左端)の右に、威部らしき平地が…
南島の瀬織津姫〈8〉熊野と琉球_a0300530_09543848.jpg




伊祖グスクは考古学的な調査は行われていないが、
グスクの北側に位置するのが祭祀空間だとすれば、
北辰信仰のための聖所ということになりそうだ。

北極星(にぬふぁぶし)の信仰をもたらしたのは、
琉球では辛島氏(秦氏)と考えるが、紀の国では?

前半で話題にした紀国一宮の日前・国懸神宮は、
二社とも本殿が北側に鎮座。北辰信仰の社殿配置だ。
辛島氏と日前・国懸神宮を奉斎した紀氏は同族か?



by utoutou | 2025-05-04 11:41 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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