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南島の瀬織津姫〈10〉いま再びのセーナナー考

投稿が2週間のご無沙汰となったが、その間、
紀氏について調べたくて読書に勤しんでいた。
『紀氏の研究(寺西貞弘・著)』とか、
『紀氏・平群氏(宝賀寿男・著)』など。律令
国家の成り立ちや豪族については、詳しくなった。

ただ、知りたいこととは違う。紀直や紀朝臣という
豪族・紀氏そのものより、紀伊半島に先住した名草
(奈具佐)族の習俗について実は私は知りたいと知る。

たとえば、こんなことだ。
過去のブログ「神武は殺さなかった」では、
神武に殺されたナグサトベの遺体を頭・胴体
・足部の三つに分けて、頭を「宇賀部神社」、胴体を
「杉尾神社」、足を「千種神社」埋めたという伝承を
 引用したが、「三」という数字は何を示していたのか?

⭐︎

その民間伝承の元は日神だけの信仰ではないだろう。
日・月・星を崇める「三光信仰」に由来するはずだ。
宇宙を象徴する「三光」は先住民の神だったと考える。

熊野三山、熊野三社、熊野三瀧、伊太祁曽三社巡り、
玉置神社の三柱稲荷、三本足の八咫烏伝説…など、
紀伊熊野は、つくづくと「三」に縁の深い土地。そこ
にある普遍的な信仰観は琉球で感じるそれと似ている。

星信仰とはつまり、日・月・星…天体(星辰、星々)の
すべてを神と崇める「三光信仰」だと、語り部も言う。

⭐︎

さて、昨年の秋に伊計島のセーナナー御嶽を訪れた。
最初は9年前のことだ。語り部がひょんなことから、
遥か昔に神人に聞いた話を思い出してのことだった。
※当時のブログは「伊計島の鏡

初めてのその御嶽へ走る途中、こんな会話をした。
「セーナナーって何のことですか?」
「聖なる七氏族。古代海人族がいたという伝承です」
「なぜ七つの氏族と分かるのですか?」
「御先東世(うさちあがりゆー、東の七島)は北斗七星
 の例え。七氏族は七つの神の島々に分かれて住んだ」

9年前と変わらない伊計島の聖地「セーナナー」
南島の瀬織津姫〈10〉いま再びのセーナナー考_a0300530_07401185.jpg


  







御先東世(うさち・あがりゆー)と呼ばれ北斗七星
に例えられた、沖縄本島東に浮かぶ島々。最北にある
伊計島は、聖なる北極星に見立てられたのではないか
南島の瀬織津姫〈10〉いま再びのセーナナー考_a0300530_05160981.png
※星のあたり、津堅島と久高島の間に、海に沈んだ
島があったと語り部。最近聞いた新たな伝説は次回に






ところで、昨秋の伊計島にて。車を停めて歩こうと、
集落からセーナナーへの道を伊計神社の社務所で
聞くと、神人らしきオバサマが迷惑そうに言った。
「セーナナーの御嶽にはもう入れないよ」と。
「YouTubeで有名になっちゃったからねー」
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その意味は、セーナナーに着いてから分かった。
本来はこの立て看板の先に進むと海岸に出られる。
つまり、誰かが鏡を埋め込んだ巨岩のある海岸が、
「セーナナーの御嶽」と呼ばれるようになったのだ
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セーナナーの御嶽とは、いまは立ち入り禁止の、
誰かがはめた鏡のある海岸の巨岩のことではない
南島の瀬織津姫〈10〉いま再びのセーナナー考_a0300530_06014283.jpg




あのときは鏡を見て太陽信仰の装置かと感じたが、
 ここは、「三」と同様に崇拝された「七」の御嶽。
 古代の海人たちが日・月・星と共に暮らした痕跡。
9年経ってようやく、私はそう考えるようになった







by utoutou | 2025-05-25 08:18 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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