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南島の瀬織津姫〈14〉泰澄寺へ

白山を霊場として開いたのは、泰澄という高僧。
その生誕(682、天武11年)地・泰澄寺(福井市)
に行ってみようと、福井駅から福井鉄道に乗った。

三十八社駅まで38分。一つ手前の駅は「泰澄の里」
なので、そこが泰澄寺に最寄りとは分かっていたが、
初の土地ゆえ、旧街道を長く歩けるほうを選んだ。

三十八社という地名の由来は、「三十八の神社が
 あった」との説が有力らしい。古代には栄えていた。
いまは美しい麦畑。文珠山(写真左)も泰澄の開山
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駅ホームの地図で北国(ほっこく)街道を確認
して西へ北へと進む。泰澄寺まで、徒歩約15分。

京都や奈良、都へと往還したという北国(北陸)
街道の名残りを、道沿いのお屋敷などに見る。

近くを流れる浅水(あそう)川では水運が盛ん
だったようだ。麻生津は水陸交通の要所だった。

泰澄の父はこの地・麻生津の渡守だったという。
瀬戸内海はじめ各地で水運を握ったのは秦氏とも
言われるが、渡守をした泰澄の父も秦氏の出身だ。

また母は伊野氏の娘と言われ、白玉が懐中に入る
夢を見て泰澄を妊ったという伝説があるという。
加羅・新羅の始祖王の卵生伝説を彷彿とさせる。
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お寺の境内に入るとすぐ目に入ったのが、ここ
 麻生津の「ふるさとかるた」の句。足も止まる。

〜 本尊は 血染めの観音 泰澄寺 〜

意味を尋ねようにも人の気配なく、石段を登る。
樹々の上で群れて飛ぶ鳥たちの鳴く声が響いた。
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悠久の古刹、というより遺跡という印象だが、
山号碑の傍に立つ説明板によれば、泰澄は35歳
のとき仙女の神勅を受け、加賀の白山を開こうと
 赴くにあたり、父母のために自ら彫った尊像と、
血染め観音(十一面観音)を本尊として祀り、寺
を創建したという。またしても、血染め観音…。

 福井へ戻る最終電車の時間が迫るが、謎は深まる。
十一面観音は朱の産地と縁が深いけれども、はて?
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白山の開山のみならず、各国を行脚して仏教を
広め、朝廷から「越の大徳」との称号を授与
されたという泰澄大師像を仰ぐ。没年は767
南島の瀬織津姫〈14〉泰澄寺へ_a0300530_10460707.jpg



旧街道を駅へと戻りつつ、ふと思う。

半島の白山部にいた靺鞨族が、日本海を渡り来て
白山と出会ったとの説があるが、秦氏との関係は?
そもそも、越前秦氏はいつ渡来したのだろうか?





by utoutou | 2025-06-28 04:03 | 最終章 | Trackback | Comments(0)
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