久高島で斎場御嶽にかかる虹を見てから1ヶ月 経つのに、まだこの景色が気にかかっている。 本島とを繋ぐこの海峡は距離6㎞。琉球王朝時代 に国王と聞得大君が、百人以上の護衛兵を乗せた 外洋船を連ねて渡る「神の島」への海路だった ![]() 上の写真の右に写る桟橋を隔てて、いまは漁港 である「君の泊(ちみんとぅまい)」は、観光 スポットでもあるが、王朝時代は「せじ新神泊」 と呼ばれたことが、『おもろさうし』に見える。 せじ=霊力、新神=太陽神霊の力を授かる儀式。 年に1〜2度、王と聞得大君が魂替え(たまがえー) をするために渡海する神の島の港が、君の泊だ。 聞得王君が神霊を授かる就任儀礼「お新下り」 が斎場御嶽で行われるようになったのは1677年。 羽地仕置(緊縮財政)が始まった3年後のことで、 それ以前は、久高島の蒲葵御嶽で挙行されていた。 ゆえに、君の泊は「せじ新神泊」と詠われたのだ ![]() 話は「虹」にまた戻るが…虹は瞬く間に切れた。 すると、いつもは一連となって見えた玉城台地が 実は、ふたつの山並みから成っていると気がつく。 切れた虹の下にソコニヤ嶽(須久名山)が見える。 平たいその山(現在は守礼カントリークラブ内) は、琉球第一王朝時代の神の山だった。続いて 左に黒く写るのが、第二王朝の聖地・斎場御嶽 ![]() ソコニヤ御嶽と斎場御嶽(ナーワンダーグスク)。 ふたつの神山を一対のように詠うオモロがある。 そのオモロ514が載る『おもろさうし』が編纂 されたのは1623年。国王と聞得大君の行幸と 「せじ新神」が、まだ久高島で行われていた時代。 第二王朝のオモロに、なぜ第一王朝時代の聖地が 詠われたのか? 考えているうちに夏が終わったw
by utoutou
| 2025-09-11 05:36
| 最終章
|
Trackback
|
Comments(1)
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
|
![]() by utoutou
カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2025年 11月 2025年 10月 2025年 09月 2025年 08月 2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||