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南島の瀬織津姫〈21〉聖山ふたつ

久高島で斎場御嶽にかかる虹を見てから1ヶ月
 経つのに、まだこの景色が気にかかっている。

本島とを繋ぐこの海峡は距離6㎞。琉球王朝時代
に国王と聞得大君が、百人以上の護衛兵を乗せた
外洋船を連ねて渡る「神の島」への海路だった
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上の写真の右に写る桟橋を隔てて、いまは漁港
である「君の泊(ちみんとぅまい)」は、観光
スポットでもあるが、王朝時代は「せじ新神泊」
と呼ばれたことが、『おもろさうし』に見える。

せじ=霊力、新神=太陽神霊の力を授かる儀式。
年に1〜2度、王と聞得大君が魂替え(たまがえー)
をするために渡海する神の島の港が、君の泊だ。

聞得王君が神霊を授かる就任儀礼「お新下り」
が斎場御嶽で行われるようになったのは1677年。
羽地仕置(緊縮財政)が始まった3年後のことで、
それ以前は、久高島の蒲葵御嶽で挙行されていた。
ゆえに、君の泊は「せじ新神泊」と詠われたのだ
南島の瀬織津姫〈21〉聖山ふたつ_a0300530_04090497.jpg







話は「虹」にまた戻るが…虹は瞬く間に切れた。
すると、いつもは一連となって見えた玉城台地が
実は、ふたつの山並みから成っていると気がつく。

 切れた虹の下にソコニヤ嶽(須久名山)が見える。
平たいその山(現在は守礼カントリークラブ内)
 は、琉球第一王朝時代の神の山だった。続いて
左に黒く写るのが、第二王朝の聖地・斎場御嶽
南島の瀬織津姫〈21〉聖山ふたつ_a0300530_11390834.jpg





ソコニヤ御嶽と斎場御嶽(ナーワンダーグスク)。
ふたつの神山を一対のように詠うオモロがある。

そのオモロ514が載る『おもろさうし』が編纂
されたのは1623年。国王と聞得大君の行幸と
「せじ新神」が、まだ久高島で行われていた時代。

第二王朝のオモロに、なぜ第一王朝時代の聖地が
詠われたのか? 考えているうちに夏が終わったw

by utoutou | 2025-09-11 05:36 | 最終章 | Trackback | Comments(1)
Commented at 2025-09-17 23:13
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